日本の弓矢文化

松山画「弓の図」

松山画「弓の図」

日本の弓矢は独特の形式で、古代より江戸末期まで一つの文化を形成していた。弓矢は戦闘だけでなく、古来人間の生活には欠かせない用具であった。しかしその文化は19世紀半ばのある時、一瞬にして消えてしまった。今では精神修養を重んじた武道の一つとして弓道は盛んであり、また各地の伝統的な行事に流鏑馬など多くの弓矢に関した出番がある。

しかし、戦国時代、鉄砲伝来、そして江戸期における華麗なる戦闘用、狩猟用
弓矢実態の資料は少ない。

「日本の弓矢資料はなぜ少ないのか?」の疑問に関して、
幕末、日本で活躍した英国外交官、アーネスト・サトウは著書「遠い崖」中で、1863年下関戦争で長州に上陸したフランス兵が弓で射られて死亡していたのを見たと記してある。恐らく日本の弓矢で西欧人を殺害した唯一の例ではなかったか。幕末、武器兵器の近代化を図る際に、刀剣は武士の魂であったが、弓矢に関しては鉄砲が火縄銃からミニエ式に変化するなかで、「弓矢を所持する、使うような国は原住民的な極めて遅れた野蛮な印象」を列強に与えると、

(黒船来航期、日本は非近代的軍備であった。左の、そして右から2番目の侍が弓を装備していた)

豪華に造られ飾られていた『弓矢文化』をあっさりと捨てたのではないかと推定する。そのために、多種多様にあった日本の弓矢の道具は「武道」を残して、ある日、突然姿を消した、と言うのが現実ではなかったか。日本の弓の歴史は古い。石器時代の石鏃も多く出土しているし、はにわにも多くの弓矢を所持した像が存在する。正倉院には100張の弓が、また春日神社にも極めて古い弓が保存されているそうだ。源平合戦のころは主力武器であり、16世紀の鉄砲伝来まで続いた。鉄砲が戦闘の主力となっても補助武器としての役目は残った。弓術は武道として残り、それは現在も継続している。『弓術弓道』に関して書かれたものはともかく、戦闘武器としての弓矢に関しての資料は大変少ないと「明治前造兵史」学士館編にも書かれている。しかし同書が武器としての弓矢の歴史に一番詳しい。約100ページを割いて、「弓と弩」攻撃兵器の項で取り上げている。(下「具足着用の次第」「道具字引図解」(右))

北斎漫画の弓師 竹製の粗末な弓である。

1、弓の種類と構造

同書によれば弓は、1)広把弓、2)狭把弓にわかれ、前者は単材で、後者は複合材で作られている。また1)常弦弓、2)反弦弓と分け、前者は弦が張った状態になっているもの、後者は弓を逆張りにするものに分かれる。
単材で弦が張ったままの弓は作り易い(専門工が15-17時間の作業で一張製造したと言う)、所持し易い、使い易いがそれだけの威力、耐久力しかなかったのだろう。後期の弓の断面は大変に複雑で、製作にも時間を要して見られる。真ん中に木材、四方を竹材で囲む、「伏竹弓」は高度な技術を要し、工作時間も掛った。

しかし工人の記録、書かれたものはない。また弓の随所に籐を巻いて補強と同時に格を表した。室町時代以降は「滋籐」と言うように儀礼化してきた。重籐は握りより上に36か所、下に18か所、籐を巻き、漆で色を付けた。

断面を栗型にして、定尺7尺1寸、64間、約100m、矢が直進的に飛ぶが常識となった。(鉄砲の弾丸のような直進性を意味するのではないが)
だから100m以上を弓で射合うと言うようなことは現実的ではなかった。矢が軽い(約50g)から距離は飛んでも楯、もしくはその他の物体で防げるからだ。
江戸期には趣味・芸術性が強くなったと思われる。そうなると武器兵器の範疇プラス美術工芸品の類になった。それで時々外国で見かけたわけだ。
欧州はもとより大陸や朝鮮半島では、2m以上の長い弓はほとんど使われてない。ここに日本の弓の特色が現れているのではないか。但し、展示とか収納とかは大変である。弓を射るには、①騎乗から騎射 ②地上から歩射 ③儀式的な儀射の三種があった。だから弓矢の儀礼的な意味は戦闘的な意味と同じく大きかった。特に鉄砲出現で儀礼化、形式化が進んだのではないか。
また西洋的な弩、石弓も存在はしていたが、マイナーなものであったようだ。
的に当てると、距離を通して射る、のふたつの目的の競技が存在したのも日本の弓矢の文化性の奥行きをしめしている。

2、日本弓矢の文化性

弓は古代より人類が狩猟に戦闘に使用して最も古い武器のひとつであり、相撲の弓取りに象徴されるように、ある時は成功を意味して、古来より魔除けなどの信仰も意味した。「弓取り」と言い家の格をも表した。鉄砲伝来後も弓矢は重要な武器であり、1500-2000石の武家は鉄砲10人、弓5人、槍5人の装備が基準であった。江戸期は他の武器と同じく形骸化され、武芸、武道として弓道は残り、主に精神修養が重要視されたと聞いた。大名行列のために造られた弓と矢、それらを運搬する道具は華麗、豪華であり、美術品としての価値を保持していた。

3、日本弓矢関連品の素材
日本の弓矢には諸外国とは異なる独特な素材が使われた。弓本体の特徴としては木材の他に、竹である。これは重要な素材であった。また短い弓には所謂鯨の髭と呼ばれる、鯨からのゼラチン質の弾力性のある素材が使われた。これは中程度の長さの弓にも貼られている。日本の弓は極初期のものを除いて複合素材である。弓に鉄材が使われていたものは見たことがない。弩が存在した以上、それはあったはずだが。また弦は外国では動物の腱を使用したと言うが日本のものは麻糸を撚って脂を引いたものだ。弦職人の作業の様子。(日置流より)

弦は折れ目が付くと切れ易くなるので、弦巻きに慎重に収め、扱うように教えた。
矢の素材、鏃は鍛え鉄である。鋳物のものはまず贋作と疑って良い。
矢の本体は細竹で、良く乾かし、矢の空洞に鏃の中茎が入る。矢羽根は使える大きさのほとんど各種の鳥の羽根であるが、猛禽類が強いと言われていた。また日本在来の雉、山鳥も多く使用されていた。