日本の軍用機

軍用機による戦闘は第一世界大戦欧州戦線で劇的な進歩をとげた。日本は欧州戦線には参戦しなかったが、青島攻撃で初めて航空機を使う攻撃をドイツ軍に敢行した。他の実戦経験がないまま、1930年代を迎え、世界水準の航空機や武装が完成したのは、海軍の九六式艦上攻撃機(1936)、陸軍の九七式戦闘機(1937)、だった。いずれも全金属、低翼、武装7.7㎜胴体固定機銃であった。

日中戦争、ノモンハン戦争(事変)、第二次世界大戦中、航空機は最重要兵器であり、日本帝国は1940-45年の間に機体約7万機、発動機約13万台製造した。

(アメリカが26万機、英国、ドイツがそれぞれ9万機に次いで世界4位の生産量だった。)機体の製造会社が17社、発動機の製造会社は10社あって、産業人口は60万―100万人であった。(原 朗編「日本の戦時経済」東大出版会より)日本帝国の陸軍と海軍は別な軍隊の感があり、共同して兵器を開発するという風土はなかった。そのため陸軍37機種、海軍53機種、と計90機種が開発、生産され、一部を除くと大規模生産の利点は生かされなかった。

三菱航空機は世界最先端の開発技術と生産設備を備えた工場であった。

日本機は「驚異的な航続距離」をもった機体が多いのが特徴である。

戦後、GHQは日本とドイツの航空機産業再建を徹底的に防ぐ処置を様々ほどこし、それらは現代にも続いている。ワシントン中心、スミソニアン航空宇宙博物館はアメリカ建国200周年に新装されたが、目玉の展示は空から降下してくる零戦21型だ。アリューシャンで無傷で鹵獲されアメリカ軍の性能試験に使われた機体だ。また最近スミソニアン航空宇宙郊外館がナショナル空港に開設され、そこに数機の日本機が復元された。「晴嵐」「月光」「雷電」「桜花」などと「屠竜」の胴体が置いてある。この日本の武器兵器の軍用機項は、現存する日本機を日本、アメリカ、その他地区での展示実物をもとに紹介するものである。