第二次世界大戦まで帝国日本軍は、電話機、無線機、手旗や喇叭も
通信機材として多く使用していた。(喇叭は現在でも使用している)
ここでは主に電話機、無線機の類を紹介する。
日本の軍用電子機器は性能が悪い、製造が悪いと評判は今ひとつであったが、
多くの企業(中小なところも含む)が参画し、それらの企業の戦後の活躍をみると、あながち日本がこの方面で遅れていたとは考えられない。
電話機は九二式(1932年)、無線機は九四式(1934年)と制定されたものが
敗戦まで使用されたが、日中戦争が始まると、当面は上記の性能が十分なものであって、その後は新しいものを開発、制定する余裕がなかったものと思われる。(以下はジュラルミンをつかった九二式電話機、世界一高級な軍用地上用
電話機だった。)

image001

無線機は、地上用機材のみであるが、その他に艦艇用、航空機用、車両用など
多種がそれぞれの目的に合わせ使用されたが、現存しているものは少ない。また昭和19年(1944年)頃から米軍の製品を模倣したものも使用されていた。
日本帝国の通信機材の特徴をひとつあげるなら、兵器として「過剰品質」であったことだ。(下は咽喉マイクとヘッドフォンのセット)

image002

これは他の兵器にも言えるが、戦場で使うものは、使い捨て、つまり見かけや
品質よりも数量や使い易さが重要であったからだ。
また、1930年代、家庭用業務用電話機使用は米国では一般的なものであったが、日本では極僅かであった。戦艦「武蔵」艦内通信に電話機を採用したが、将兵はその通話自体に戸惑ったそうだ。これは車両に於いても言える。将校が自分で運転し殆どの兵が運転出来た米軍と、軍が運転から教えた日本軍の差だ。
敗戦直後は女学生にハンダ付けをやらせたが、その技能の高さに、連合国軍需部は驚いたとのレポートもある。