13 、日本の半自動銃

日本軍は半自動銃を採用しなかった。『日本の機関銃』第6章に詳しく書いた。
しかし、現物は各種残されており、短機関銃試製銃のように1930年代に世界の半自動銃を研究して、ライセンス生産を前提とし許可を得て試作したのだった。
(ライセンスを前提とした試作は「コピー」ではない。)
アメリカ軍が日本に進駐した際にどこか武器兵器施設で見つけたもの、また沖縄で戦闘中、鹵獲したものなどがあると持ち主が話していた。観察すると、1920-30年代に外国のライセンスを得て試製したもの、と1945年にガーランドM-1小銃を模倣したもの2種類にも分類できる。後者は完成度が低い。試製したものには、日本の実包6.5㎜用にしてあった。半自動銃の定義は、引き金を一回引くと、発射、排莢、装填をガス圧、もしくは反動で行い、機関銃のような連続発射はできない。第二次大戦中に半自動銃を採用した主なる国はアメリカである。
これを「自動銃」と言うのは正確ではない。
1 チェコZH-29

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TGE(東京瓦斯電気社)製でとても完成度の高い製品である。問題は命中率であったと伊藤 愼吉氏に聞いた。三八式歩兵銃と大体同じ大きさにつくってあり、この銃は沖縄で鹵獲したと聞いた。

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ZH-29は1920年代に開発され、機関銃弾倉を使用した。ガス圧利用方式である。重量が4.5㎏あり小銃としては重すぎる、価格が高いなどで未採用になったのだろう。アメリカのBARは自動銃だが、それに近い大きさだった。
2 ピダーセン方式銃

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アメリカ国内で半自動銃採用の際、ガーランド方式とピダーセン方式は最後まで争った。結果はピダーセン口径.276は採用されず、ガーランド30.06が採用された。ピダーセンはボルト後退式で、ガーランドはガス圧利用だった。ガーランドは、アメリカの標準兵器の弾薬がそのまま使用できた。

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両方とも日本には売り込みに来たが、アメリカがガーランドを採用してので、日本でピダーセン方式は試製が行われた。小倉工廠、日本特殊金属などで、歩兵銃タイプのものと画像の四四式騎兵銃タイプのものなど各種が試製された。
ピダーセンは後に日本で弾薬にワックス(蜜蝋)を塗れと言うのを忘れたと発言したが、明らかに何かおかしい。ボルトがV字型にルガー拳銃のように折れて後退する方式だ。日本の銃はロータリー弾倉10発を使ったので、カエルを飲み込んだ蛇のように胴が膨らんでいる。
3 ガーランド方式銃

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現存する日本製のガーランド銃は、前記の試製品とは明らかに異なる経緯で製造された。スミソニアン博物館を始め幾つかの現物を観察したが、粗末な出来である。
環穴照門が小さすぎて狙いが付かないものがほとんど。製造刻印はない。アメリカ軍が横須賀で200挺を発見したと言うのが由来だ。口径は、30.06を7.7mmにしたと言われていたが、スミソニアンで.303だと言われた。これで背景が分かった。帝国海軍だ。海軍は艦艇、航空機を失い、終戦時には60万人の
陸上兵力を保持していたが兵器がなかった。航空基地に保管されていた航空機機銃弾薬を使用できないか、それがこの銃開発の背景にあったのだ。
横須賀工廠、豊川工廠の協力会社の製造(マキタなど)であると推察できる。なお、「四式」という制式名がついてはいないし、戦後、64式小銃受注の際に豊和が提出した図面は偽物である。日本兵器の恥である。
4、その他の半自動銃
日本では1920年代後半から30年代、小火器の生産は少なかったが開発は熱心であった。6.5㎜薬莢の二重になり、稼働式のものを観たことがある。恐らく何らかの半自動銃開発に使用された特殊弾薬であっただろう。
その他にも様々な日本独自の試製、そして外国製の試作が研究されたが、価格、耐久性、そして弾薬補給など、各種の実戦での問題のために、三八式小銃の
口径は同じ機構で口径を大きくした九九式小銃と決定された。
(画像の質が悪くて申し訳ないが1995年頃カルフォルニア州の収集家を限られた時間内で訪れ、急遽撮影したものである。他にもあるがまだ電子化してない。)
(この項以上)