17、大日本帝国軍が残した武道『銃剣道』

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はじめに)日本武道協会のれっきとしたメンバーであり、武道館演武にも出場する。競技であり、帝国日本軍の小銃に銃剣を付けた長さ166㎝の木銃を使う。
歴史)
日本の銃剣術は高島 秋帆が紹介した西洋軍学にあったが、正式には明治の
軍備化のなかで形成された。個人的には最も軍国主義的な武道だと思うが
今でも愛好者が存在すると言うのは驚きだ。また突きだけが攻撃と言うのも
怖い気がする。
明治初期、フランス式の陸軍軍備を進すめていた頃、欧州の形式が伝わったが、
やがて日本古来の「槍術」を取り入れた方式と防具が作られた。
初期の村田銃銃剣はエンフィールド銃などのヤタガンの影響を受けた両刃の刀剣式大型のものだ。(銃剣の項参考)

村田二十二年式の銃剣術)
二十二年式村田銃は短い。銃剣も短剣と呼んでよいほど短い。従って、槍で言えば短槍の方式になろう。銃身長が後の三十年式より9㎝くらい、銃剣の刃長は29㎝ほどで三十年式銃剣刃長より15㎝短い。従って銃剣装着の状態で約25㎝短い。
しかも三十年式採用まで8年間と言う短期間しか使われてない。
米国でドナルド・マルソン大佐にこれらを見せて質問した。「どうしてこんなに
短い方式を採用したのか?」と。彼は即座に兵の錬度が高く、相手の懐に飛び込んで突くことができた、と言う解答だった。なるほど、日露戦争100万人動員体制を前に長い小銃、長い銃剣を大柄なロシア兵に必要として改訂したのかと納得した。

軍の銃剣術)

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大日本帝国軍の銃剣術は相当厳しい訓練であったようだ。その防具を付け、自信満々な兵の訓練姿は「ライフ誌」1939年7月号に掲載されている。
(同誌は私のライブラリーにあるが追って掲載する)

下は完全装備で布団の的を実銃で突く訓練、鉄帽の形式に注目

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訓練に使ったのは銃剣を付けた三十年式、三八式小銃の全長166㎝の木銃だ。
同じものが各種の学校教練でも使われていたので様々な材質のものが以前は
多く見られた。

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特殊な防具
木銃の先にはタンポと言われる皮革の被いが装着されていた。
この訓練は部隊対抗競技などとして広く行われたのであろう。

木銃)
現存する大戦前・中の銃剣術用木銃の例
上のタンポは皮革製で下はゴムだ。

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(この項以上)