3 、軽機関銃手装具その2
何度か書いたが、日本の歩兵は基本的に兵器、弾薬そして兵器の手入れに必要な整備具や部品を身に付けて行軍した。身に付けやすい、軽量・小型と最小必要最低限の工夫は十分になされており、その細かい部分を観察するだけでも興味深いものがある。機関銃に使われた槌(ハンマー)には基本的に鉄製のものはない。真鍮、アルミの小型か、木製の大型である。
弾薬や弾倉の輸送、運用も工夫がなされていた。弾倉は軽機一挺に8個装備が規定であった。銃手は最低4個、助手が残りを運搬した。30発入り弾倉は全自動(フルオート)で発射すれば4.5秒で空になる計算だから、弾薬は多量に必要であり、分隊の他の歩兵も手分けして運搬した。機関銃が約10kgあるので、弾薬、弾倉を含めると相当な重量になった。しかし帝国陸軍歩兵分隊は約12-5名の定数で、軽機一挺、擲弾筒一門を小銃の他に装備していたので、戦力はあったが、個人の兵の負担は大きく、食料・飲料水など3-4日間作戦に必要な身の回り用品は犠牲になった。帝国陸軍は兵站意識が低かったので、全体が空挺部隊のように長時間は戦えない体質であったと言えよう。
「Gun Tools」と言う本には日本の機関銃の道具の多くが掲載されている。
1、 十一年式軽機用金属製弾薬箱
厚い金属で作られており、日中戦争初期、同軽機運用の写真で、助手が抱えている風景、映画「土と兵隊」の射撃シーンに出てくる。240x100x53mmで
柄で手持ちする。蓋の留め具が太い針金のスライド式だ。内部には5発装弾子入り6.5㎜弾を紙箱から出し30個収納できる。この装弾子は軽機にも三八式歩兵銃にも共通に使われた。吉村 昭著「日中戦争」には万里の長城東で孤立した小隊に空中から弾薬を補給するに、金属匣を使用したとあり、この箱を幾つか梱包した投下したのだろう。
外観と蓋を開けた状態
2、 帆布製60発入り前蓋
歩兵の前蓋は30発入り固形(ソリッド)な皮革製で、後蓋は60発入りだ。その後蓋とほぼ同じ大きさで厚い帆布で作られたものだ。170x80x100㎜で、2本の皮革帯がぐるりと回り後ろが皮帯に固定される。「十一年式軽機手用前蓋」だ。軽機手は伏射姿勢をとるので、弾薬を出してしまうとつぶれても良いようにソフトケースにした。
3、 九六式・九九式用150発弾薬収容袋
約30㎝四方の平たい布製の袋だ。様々な素材、形がある。
① ハンプ布製豚皮帯。粗末に見えるがこの素材は湿気を通さず優れたもので南方でしか採取できないので、現地で製造された可能性がある。
粗末だが強い
② 弾倉入れと兼用のもの。厚い緑色帆布製で皮帯も厚く丈夫だ。幅10㎝の手を掛ける帯があり、平たくした場合は弾薬を150発、折りたたんだ場合は弾倉を2個収容し、射手に投げるための機能だ。
③ ④同じ形式の一般的なものだが、ひとつは未使用(ミント)で、
もうひとつは「虎 五―二」と記されている。5つあったものの2番目と言う意味だろう。背面に皮帯通しがあるが、付いているような幅の広い、
4㎝の負い帯を使用した。分隊の兵士が手分けして軽機関銃用の弾薬を運搬するための収容嚢だったが、後にはモノ入れに転用され、あまり残ってない。
4、 弾倉入れ
厚い帆布と皮革、またはゴム引き帆布の混合(コンビネーション)で作られている。九六式6.5mと九九式7.7㎜は共通でどちらにも弾倉は2個入る。弾倉を重ねて入れたか、互い違いに入れたかは不明だが、重ねた場合は強度が、互い違いではバランスが良い。25x10×6㎝で被う蓋は20㎝、2個の尾錠で止める。右横に180×25㎜の帆布を折りたたんで作った手掛け帯が付いており、これで射手は空の弾倉を後ろに、装填手が前に投げた。皮革の部分は厚く頑丈である。弾倉の変形を防ぐためだ。「二ノ一ノ三ノ一」と書いてあるのは第二小隊、第一分隊の3個ある弾倉収容嚢の一番目と言う意味だろう。ほとんど負い帯が欠落しているが、負い帯は茄子環を使った帆布製で、射手は機銃を持ち、左右互い違いに4個の弾倉を身に付けていた。
ゴム引き帆布
5、 箱弾倉
日本の軽機関銃の箱型弾倉はないもののひとつだ。陣地をせん滅した兵士が軽機を戦利品として持ち帰る際に弾倉はひとつしか持ち帰らせなかったとか、まったく持ち帰らせなかったからだと言われている。これは一〇〇式短機関銃も同じである。日本の弾倉は金属が厚い。銃に装着するには前を入れてから後ろに戻すようにする。離脱するには弾倉の後ろの舌板を前に倒す。横板には3本の筋があり、前一本が凹、後ろ2本が凸である。光が無くても感覚で前後を間違えない仕組みだ。日本の箱弾倉は今の考え方と異なり、使い捨てでない、機関銃ある限り使うと言う頑丈な造りだ。
① 九六式6.5㎜用箱型弾倉 (上)
一つはオリジナルの黒染めだが、もうひとつは上に塗料が塗ってある。
海軍陸戦隊がよくやった方式だ。九六式6.5㎜箱弾倉は特にない。傾斜がある。
② 九九式7.7㎜用箱型弾倉 (下)
一つは鉄製である。7.7㎜弾は弾丸部分の比率が大きいので6.5㎜弾倉より
垂直なのが特徴だ。もうひとつは鍋釜を作ったアルマイト合金製だ。
燕三条市立博物館に戦時中、同地で名古屋工廠のもと、軽機関銃箱弾倉を製造したという記録があり、借りにきた。燕三条は台所用品生産で有名なので、この手のものをと勧めたが、鉄製を選んで行った。
合金を箱弾倉に使用しても何も支障はない。フランスにも存在した。やや重い。
6、 携帯整備用道具
① 十一年式軽機関銃6.5㎜用 厚い皮革の折りたたみを帆布製収容嚢に入れてあるのが特徴で、部品はブリキ缶(上下が開く)に、予備の発條(スプリングがU字型に収められている。)
24x17×4㎝
② 九六式軽機関銃6.5㎜用
20x10×6㎝の帆布製収容嚢に厚い皮革の折りたたみ収容嚢が入り、それを開くと折りたたみ朔杖、真鍮槌、捻子回し、排莢具2点、ピン、部品袋、予備円筒(ボルト)と底部だけ飛んだ薬莢の排莢子(欠落している)が整然と収納されている。
③ 九七式車載重機関銃7.7㎜用鉄箱
「手入具匣」と記された21x10x9㎝の厚い鉄板製の箱であり、内部の
大きな部分を占めるのは油缶である。その他には折りたたみ朔杖、槌、
2種類の抜き棒、ブラシ、洗頭そして銃腔用パッチまでが健在であった。
この箱は「装具」→「箱類」の鉄板製車載道具箱の一隅に収まる。
④ 九九式軽機関銃7.7㎜用初期型 諸道具は厚い皮革の折りたたみに留められ予備の円筒(ボルト)が付いている。内容は基本的には九六式6.5㎜と同じだが、重要なものは両口のスパナである。大きな方は銃身交換用の留めネジに使い、「用心鉄金栓スパナ」と記された方は、機関部と
箱の結合ボルトに使う。
⑤ 九九式軽機関銃7.7㎜用後期型 諸道具を収める折りたたみ下地が
帆布製である。内容は初期型に同じだが、皮革材料の不足、もしくは
南方気候を考えて帆布製にした。
⑥ 九九式軽機関銃7.7㎜用第二整備用
18x14x7㎝と大型、腰下げの帆布製収容嚢で、内部には油缶、消炎器、
ガス筒用清掃ブラシ、円筒清掃用管などが収納されている。ブラシは消炎器に逆様にして収容する。
以上、つづく