4 、機関銃手装具その3

1、 装弾器

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上は九六式一式、下は九九式一式

帝国日本軍の軽機関銃には弾倉が8個標準装備だった。各2個が一つの帆布製収容嚢に収容されていたことは紹介した。この収容嚢は裏が厚い皮革、もしくはゴム引き帆布でかなり頑丈に作られており、横に帯がありそれをつかんで投げた。機関銃は分隊の一番前で機関銃手と助手が射撃した。弾倉は助手が交換した。空弾倉は収容嚢に入れ、後方に地面に滑らせるように投げた。恐らく数m下がったところの低い位置だろう。装填手がいてこの装弾器を使い、小銃用と同じ5発装弾子を6個、30発弾倉に装填した。昔、自分でやってみたら20秒くらいかかったが。装填した弾倉2個、収容嚢に入れ機関銃助手に投げ返す。これを繰り返していたのだ。装弾器は帆布製の収容嚢に入れてあった。銃手がやられると、助手がそしてそこに装填手が繰り上がる仕組みだった。

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教本の使い方図、紐で首にかけた。九六式

① 九六式用装弾器

10㎝x10㎝、厚さ5㎝の大きさだ。

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弾倉は肩掛け、装弾器は皮帯付け、汚れは血痕

② 九九式用装弾器

13㎝x10㎝、厚さ5㎝で基本的には九六式のものと変わらないが、油缶が付いている。油は弾薬が弾倉に入り易くするためより、機関銃は弾薬に油を塗り、それでヘッドスペースを調整したと言われている。そしてそれを発見と言うか
使い始めたのは帝国日本陸軍が最初だと。(日露戦争)小銃のヘッドスペースは命中率に大きな影響を与えるが機関銃は更にヘッドスペースがきっちりしてないと、作動が潤滑に行かない。

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この収容嚢はゴム引き帆布で後ろができている。

2、 銃口蓋

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右側のネジ山だけのものが九九式後期用で、左のバネで押さえる形式、長いものが九六式、中の短いものが九九式前期用であった。銃口蓋は先が開く。それらを開けても射撃は出来ない。ネジのものでも銃口蓋は飛んでしまう。銃口蓋は銃腔内に異物や水が入らないようにとの機能があるが、先が開くのは銃腔内清掃のガイドとするためにも使用したからだ。銃身を尾筒(レシーバー)に装着してままでは、前からしか清掃できない。
① 九六式用全長60㎜、直径20㎜ 左
② 九九式前期用全長45㎜、直径25㎜ 中
③ 九九式後期用全長28㎜、直径25㎜ 右

当然、十一年式用のものも存在したがここにはない。

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右から①、②、③

下は九六式軽機に装着した様子

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この状態でも発射はできない。
上は蓋を開けたようす。下は外した様子、銃口の溝を使う。

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同下は九九式軽機に後期型を装着した様子

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蓋を開けた状態

3、 油収容缶と皮革収容嚢

機関銃には油は必要不可欠なもので、その用途には二つあった。一つは機関部の稼働を滑らかにするため、もうひとつは弾薬に塗るためだった。
油は持ち歩きし難い。そのために様々な容器、収容嚢が存在した。以下はその一部である。

① 重機関銃用携帯油缶と皮革収容嚢

三年式機関銃6.5㎜用携帯缶

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九二式重機関銃7.7㎜携帯缶収容嚢 この中には同じ容器が二つ収容されていたと推定されるが容器はない。

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小銃用弾薬後蓋と同じ寸法、作りだが、皮革の厚さがある。

② 重機関銃用整備箱の缶

重機関銃には弾薬箱(馬載か個人が担ぐ)が1挺に2個存在し、その中に油缶が収納されていた。

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4、 十一年式軽機関銃装填架用収容嚢

十一年式軽機は運搬中、装填架は外して、銃手が腰に付けていた。
その収容嚢で、皮革製と帆布製がある。装填架は複雑な形で、柄が長く突き出ているので、皮革製には切れ目があり、柄を外に出していた。
機関銃自体は収容嚢があり、それに収容して運搬した。

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(機関銃装備その3以上)