6 、陸上自衛隊武器学校小火器館の日本の機関銃 1

武器学校には米軍時代から残された多種多様の武器兵器があった。その中でも大きなものは八九式中戦車(1928)で80年間を経て、数年前に実習教材としてリストアされ、新しい発動機を備えて、あとはほとんどそのまま、走行するようになった。砲や小火器は無可動化されているが、武器学校には特徴的に日本のもの以外、ソ連の兵器が多い。朝鮮戦争で鹵獲した北側のものがそのまま米軍から引き継がれたと考えられる。
2007年、防衛モニターに任命された筆者は、学校長の命を受け、副学校長、教官、広報班を手伝い、膨大な兵器類をまず、日本と外国のものに整理整頓。次には日本の武器兵器は江戸期から現代までを時代を追って説明すると言う展示を提案した。壁には主に小銃を、手前のケースには拳銃と装具類、そして壁際の台には機関銃類を並べた。日本では、1898年に6.5㎜を採用するまで、6.5㎜の時代、7.7㎜の時代、供与の時代、そして自衛隊開発時代に5つの時代に流れて行く。恐らく数量的なものは勿論だが、組織的、理論的な展示としては世界一の規模と内容になったと自負している。この作業には2年間掛った。珍しいものでは国友一貫斉の気砲、九八式光学照準器、海軍九二式汎用機銃と三脚架、九九式狙撃銃などがある。また抜けている部分もある。それは幕末のゲベール、ミニエ式小銃の時代だ。現在、展示開始して3年間が経過したが、記念日と、週一の開館日は驚くほど多くの見学者が訪れる。祖父が孫に説明している光景などはほほえましいだけでなく、関係者はやりがいを感じる。

「日本の機関銃の見どころ」

1、 海軍九二式汎用機銃と三脚架 .303口径

帝国海軍はルイス機銃を採用し、航空機旋回機銃、対空機銃、陸戦隊地上機銃、艦艇用機銃などに使用した。三脚架はビッカースの設計だったが、帝国海軍はこれを三脚架のロールスロイスを言われるほど完成度の高いものにした。ゆりかご型の架台が一瞬にして地上用と対空用に変換できるのだ。アメリカでも1台しか現存してない。
このルイス機銃は「九二式四型豊川海軍工廠17年12月」と番号のプレートが付けられている。ヤンマー製(山岡製作所刻印)の弾倉も健全である。空冷、自転弾倉の整備の難しい兵器だが、帝国海軍技術力はそのくらいはなんのそのであったのだろう。
日本帝国海軍はルイス機銃の最後の大手ユーザーと言われていたが、他の兵器は積極的に
新しい技術開発、輸入を行っていたのに、機関銃のみはルイス機銃もしくは陸軍工廠で製造されたものを購入していた。

完全未使用の帝国海軍九二式.303汎用機関銃

2、航空機光学照準器

ここには珍しいものが展示されており、身近に観察できる。
① この筒状のものは多くの海軍機に使用された九五式射爆照準器で東京光学製である。
機銃射撃と降下爆撃の両方の照準に使用された。主に九六式艦爆に装備されていた。
のぞいて空中のプラモデルを観ることが出来る。

② 零戦に採用されて九八式光学照準器はいわゆるドットサイトで、操縦士の頭が動いても照準は正確にできると言う革新的な照準器だった。当時の副校長が、「実は向こうの建物にまだいろんなものがあります。一度見て下さい。」と誰も入りたがらない薄暗い建物に行った。そこは宝の山であったのだが、その中のひとつだ。校長が三菱重工に人を派遣し、このモックアップを原寸で製作した。現在、操縦席はないが、椅子に座ると、空中のプラモデルの機体が赤字のなかに浮き上がる。電球は切れていたが電球とコードを交換し、公開日には電気を入れる。なお、オリジナルのパッドも健全で、子供がこれに手を掛ることがあったので、注意をするように伝えた。恐らくこの展示は世界にもないもので、大分前にマニオンにこれより程度の悪いものが出たことがあったが、相当なる落札価格だった。

向かいの台に目を移すと、時代を表す、日本の地上用機関銃群。日本の地上用機関銃はここには充実している。

3、6.5㎜の時代

昭和12年(1932)まで、その後も併用してずっと使われたが、端から
① 十一年式軽機関銃、部品の前部揃い、染めもそのままの良い状態の名古屋工廠、昭和14年12月製(一番最後に製造されたものだろう)だ。

② 九六式軽機 昭和16年8月製造 銃剣と弾倉は模擬だが、分隊兵器として一緒に使用去れた十年式擲弾筒が展示されている。

 

③三年式機関銃(あえて重と言う字をつけてない)生産数が3,000あまりと少ないので貴重な品である。三脚架は大陸使用の土色に塗られている。この縦軸を受ける皮革製の筒が実際どんなものであったか?アメリカの博物館にあった実物から復元した。昭和11年製
これだけ程度のよい三年式機関銃はアメリカの博物館にもない。

 

4、7.7㎜の時代

①九七式車載機銃 これには珍しい、車外用被いが取り付けられたものと、構造が分かるカットアウトされたもの、2つが同時に展示されている。あちこちで展示を観てきたが、
被いが付いているものはこれが初めてだ。機銃と被いは別々に所蔵物の中から発見されたが、担当教官が取り付けた。また武器学校としては学生に構造を説明する必要があるから
カットアウトも貴重な展示だ。この機銃は日本の設計ではなく、チェコ機銃をそのまま取り入れた。弾倉もチェコ機銃のものがそのまま使用できる。20発入で低いので、車載には適していた。

② 九九式軽機関銃 これも程度が良い。銃口蓋と防盾(ぼうじゅん)が付いているので、ここが見どころだろう。
この銃も銃剣と弾倉は模擬品。分隊兵器として一緒に携帯された八九式重擲弾筒も機銃の前に展示されている。銃口を叩いて無稼働にしてあるのは残念だが、機構は健全なので、仕組みの研究に観察するには良い。

③ 九二式重機関銃 三脚架は密林使用の緑に塗られている。ちょっとまだ色が明るいのだが、現地で塗ったのでいろんな色があったと思われる。銃口にはこれも珍しい被いが付いている。被いはスパナで取り付ける。中途半端に装着すると飛んでしまうそうだ。

以下続きます。