10、教練用・訓練用機関銃の数々

拙著「日本の機関銃」にはかなり詳しく、日本には訓練だけに使う軽機関銃が
種類も数も多く存在していたことを背景も含め書いた。アメリカで友人になった日本の教練機材だけの収集・研究家もいた。
教練や訓練のためだけに特別な機材を造るより、実物を空砲で使用したほうが
はるかに手間はかからない。しかし日本は、昭和になり軍縮の結果、余剰となった将校は学校教練制度で再雇用された。優れた人材が中学校以上の各学校に赴任し軍事教練を行った。また進学できない青少年のために会社、工場、地域単位で「青年学校」と言う制度を創設した。(日本の教育水準向上には相当貢献した)このような軍隊でない学校で実物の兵器を使う、当初は三十年式、三八式小銃などの中古品を払い下げた。武道具屋が仲介をとった。そして軽機関銃に関しては特別な機材を造った。木弾空砲を発射する、簡単なブローバック形式で、鋳物製の部品をネジで組み立てたモノが多い。弾倉は20発程度の収納でこれらも鋳物で、横が開いて残弾が安全に取りだせる工夫などがあった。
判別した種類だけでも、
1、 南部式空砲軽機関銃
2、 日標式訓練軽機関銃
3、 金山式訓練軽機関銃
4、 井澤式訓練軽機関銃
5、 兵林館(制式呼称不明)
6、 その他製造所不明
3の金山式は南部麒次郎氏によれば南部式の模倣であったが国家のため特に処置はとらなかったとしていた。以上の会社は三八式型の訓練小銃(狭窄弾が撃てる)を製造していた。あまりにも出来が良いものもあり、遊就館では一次、実物として展示していた。(実物と異なり排莢子をネジで止めてあったのだ)
リビー教授にいただいた、戦後押収した訓練用機関銃各種の写真だ。

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米軍では沖縄戦まで戦闘に直接参加した人員は復員させ、戦闘経験のない者が
進駐してきたケースが多かったそうだ。そのために、訓練・教練機材を実物と間違えた扱ったこともあったそうだ。
この写真の場合も手前は南部式、3番目が井澤式だが、あとの二つは判別できない。詳しくは「日本の機関銃」を参照していただければ幸いである。
(この項以上)