3 、短弓
この種の弓に関して書かれたものは非常に少なくて、まして実際に使われた内容の記述はみたことがない。一番多く展示してあったのが、あの「京都東山美術館」だったが、その収蔵品も散逸した。どの程度の実力があったのか、その威力は現在残されているものからは証明できない。と言うのは鯨の髭を材料にしたと言う弓自体(他の木や竹を合わせたもののそうだが)、鉄砲のように整備して使うことが不可能だ。
同じような大きさ、形にファイバー繊維などを使いレプリカを作り実験してみることが必要であろう。また様々な形式が下記のようにあり、これも何を意味するか。籠に乗る際に常備した、床の間においたなどいろんな説がある。大型のものは鳥類などの狩猟には使えただろう。紀州藩に抱えられた帰化人武道家、林 李満の流派であるとの話も名和先生から聞いた。弦は常時、張られていたので、そのまま矢をつがえ、射ることが出来たのが利点だが、材料の時代による劣化からそのまま実験できないのだ。以下、幾つかの例を紹介する。
1、 携帯用の例
わりに大型で飾り気のない実用的な弓矢である。弦がついている。台の底は板で縦に挟みがあり、台の上は弓と矢を挟むように細く曲がっている。弓は弦部66㎝、幅28㎜、厚さ9㎜、矢は全長48㎝(鏃2㎝)が4本残っているが、細く6.5mmで軽い。大陸の短弓のような形状で、皮革の握りは太い。鶴紋入りの革袋が下で受けているから猟師の弓矢ではない。
多くのこの種は矢が別々に入る形式だが、これはそうなってない。
2、 箱型の簡単な作りの例
全体が骨と言うか鯨の髭と言うか、現在のプラステック素材のようなものでできていて、矢は2本欠落しているが、本来11本が各々入る形式で、うち1本は平根の鏃である。弓は伸びた状態で65㎝、幅24㎜、矢は全長39㎝、鏃は20㎜、大体この長さが威力の目安だっただろう。
3、 小型弓
長弓の半分の長さで本来ならこれが「半弓」だろうが、一般的ではない。また弦は常時掛けられた方式であり、この点も異なる。材質には鯨の髭の複合材が使われたおり、漆仕上げ、長さ57㎝の矢4本が付いていた。
頑丈な作りで今でも使えそうな感じである。このような弓を猟師が使用したものではないかと推察する。
矢の先端と弓の先
4、 家紋入り鼈甲箱の李満弓
弓長は60㎝、矢長は35㎝が7本ついていた。台には腰差しがあり。弓の状態は良かったが、動物性の材料は劣化するので、台はあまり良い状態ではない。
矢羽根4本は再製作。元は格の高いものであっただろう。
5、 鏃が固形の李満弓
台は鼈甲、弓は鯨の髭、典型的なこの形式の弓矢だが、鏃が個体である。
弓60㎝、矢40㎝
鏃は洋風な個体の鉄が被せてある。
6、 五星紋の高級李満弓
皮革と鼈甲で造られた箱。皮は金色に塗られ、五星紋が入れられている。弓は44㎝、矢は36㎝と小ぶりでこの手のものが、身分の高い者が乗る籠に備えられていたのかもしれない。弓の巻きは上に12、下に12、矢は平根矢もあり、箱も健全な状態である。
矢は揃っているが平根矢のみ欠落
7、 矢のはずが骨製のもの
弓は全長44㎝、矢は38㎝、厚い皮革の握りである。腰差しも頑丈であり、外で使ったものであろう。凝った作りの高級品であろう。健全な状態である。
8、 金皮台の豪華なもの
弓長80㎝、矢長30㎜、弓重量200g
ほぼ完全品であり、弓に弦をつけることもできる。矢羽根もほとんど健全である。
弦を掛ける部分
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平根は革箱の横に入り、握りは太い。
9、 五三の桐、鏃の大きな高級品
恐らく今までの中では一番の高級な弓矢だ。弓は70㎝位の大型、矢は45㎝だが、鏃が大きい。3㎝ほどある。箱も全く痛んでない。皮革のまわしには桐紋。
完全な品だ。鏃は在銘で「高麗」とある。これが李満弓、林 李満が半島から渡ってきて紀州藩に仕えたと言う伝説の元ではないか。
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箱は簡単ながら腰差しが出来る様式であるが矢は個別にならない。(平根矢のみ矢羽根再製作)
10、 箱入りの小型弓
箱裏の銘
流派のものであろう。黒塗りの木箱、51㎝x18㎝の中に弓、全長45㎝に矢10本と蕪矢が収容する挟みが入れてある。懐に入る寸法だ。弓を矢の収容嚢に入れ懐からそのまま射る仕組みであったのだろう。矢長は30㎝、弓は
厚く強い引きが必要である。一種の「隠し武器」であったのかもしれない。
蕪矢と弓(ほぼ上下対照である)
以上、小型携帯弓に関してであるが、ではこれらの弓の有効性はいかがなものであったか。推定だが、長さ1mの弓で有効射程約25m、小型のものでは10-15mくらいだったのではないか。弓本体の太さから考えるに初速のエネルギーは相当あったようだ。矢羽根はほとんどが元のままである。