9 、日本の長弓(ロングボウ)の起源と那須与一
日本の騎馬から弓を射る戦闘方法はいつごろが起源であり、完成されたのか?
この社会的な課題を研究した文献は少ない。近藤好和著「弓矢と刀剣」には
世界最大級の長さを持つ弓、近世では7尺3寸、中世では7尺5寸(230㎝)あったと言うが、元は平安時代の武士ではなく、貴族階級の儀式に使われていたものだとしている。兵器や武器は戦闘がなければ利用されない、発展しない、
確立しない文明であるから、12世紀の源平合戦で全国の荘園の武家がこれを
習熟し、様々な工夫を得て、戦闘で実用となる方式、さらに礼儀までに発達したと、考えるのが妥当であろう。さらに13世紀、鎌倉時代の2度にわたる「元」と「高句麗」の巨大な侵略に対抗した海防、ここで、鋭い刀剣、鎧、騎馬とともに武士の標準装備になったのではないか。
那須の与一は12世紀初頭、今の栃木県大田原市の辺りの生まれで、11男であり、10人の兄がいたことで有名だ。兄たちは平家側に、彼は源氏側に付いた。
弓の名手の代名詞であり、源平の海上戦闘の際に、船上の扇を射抜いたことで有名だ。この絵画は後ろに10本の柱があることからまた騎馬の作法から
那須の与一と思われるチープアートの一種であるが、江戸期以降も様々な絵画が残され、そのポピュラーさは武家社会以前のキャラクターとしては群を抜いていた。
(鏃がさす股である)
なお、日本の長弓、三十三間堂の上にも下にも付かないで矢を飛ばす距離は
60mだと思っていたが、先日、防衛関係者の話だとその倍、120mだそうだ。
また、流鏑馬も鎌倉時代からの伝統行事であるが、騎乗で前方の標的でなく、
眞横の標的を狙う、これは距離が近ければ近いほど、難しい技だそうだ。
(この項以上)