10、弓術神格化と流鏑馬

動いているものから動いている的を撃つのは一番難しい。(空中戦や海戦)次に難しいのは動いているものから固定してある的を撃つことで、特に前方や後方でなく、真横が難しいそうだ。(戦闘車両の射撃)
射撃では動的射撃、的が左右に動くのを撃つはタイミングを覚えればさほど難しいものではない。(猪猟)
日本全国で数十の「流鏑馬」の演武がある。最近、女性だけの演武もあり、
これは馬、弓、タイミングと三拍子そろった難しい技だと思う。
日本銃砲史学会の例会が開催される早稲田大学に行く途中「穴八幡神社」があり、大田道灌の馬上から弓を射ている銅像がそびえている。この神社でも近所のグランドで流鏑馬を行うそうだ。

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では、実戦ではどうか?
戦国時代、鉄砲が出現して集団戦になると騎馬武者が弓を射る、いくら日本の
長弓が当時、世界一の射程と威力を誇っていたが、これは現実には敵わなかったと考えて良い。
小笠原流弓術によれば流鏑馬に近い馬と射る競技は9世紀ほどからあった。
鎌倉時代がピークだっただろう。蒙古・高句麗襲来の折には馬上武者は弓、
刀を駆使し大活躍したはずだ。

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矢は5本しか差してない
流鏑馬が復活したのは江戸の中期と言われている。同じく弓術は礼法重視の武道として栄えた。最後に戦闘で敵兵を弓矢で殺されたのは1864年の四カ国長州戦争で、関門海峡で上陸したフランス兵だった。
江戸期中期ごろより弓矢は神格化された。それらは各地にさまざまな行事として残っているが、流鏑馬はその象徴的な存在であるに違いない。
まず乗馬技術を取得しなければならない。弓矢を射る技術を取得しなければならない。礼法を学ばねばならない。

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現代人の流鏑馬がこれだけ受けているのは弓矢の道、家が日本でも廃れてない
証左ではないか。

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なお、流鏑馬に使う矢の先は蕪で、これは犬追いに使うものと同じであると言われている。下は鏑矢

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先に鉄板がついている

(この項以上)