4、当世具足その2
江戸中期のものだろう。19世紀になり糸の部分をやり直したと言い伝えられている。完全で、健全な品であり、保存状態も良い。
大型の鎧櫃一個に全てが収納される。43㎝角、高さ56㎝、透き漆塗りである。
台座の年号、文化八年は1812年、その3年前から江戸湾に砲台建設がはじまった。
この鎧が江戸中期のものであると言う確証は袖が地味であり小さいことだ。10段で長さ23㎝、幅21㎝。
昔から糸ケの多い鎧具足は質が良いと言われていたが、この鎧は典型である。
また裾板の部分は本小札であり、手がかかっている。それは小札が一枚一枚造られている板を形成しているからだ。その上の部分は一枚板であり、表は各枚が分かれているようになっている。一種の模様だ。
胴は横6段に薄い鉄板をつなげてあり、その動きを良くする、補強するために
ふんだんに紐が使われている。普通の品と違う点は各一枚の鉄板の上部が波型になって凝っている点であろう。佩楯(はいだて)と脛当てもシンプルなデザインだが、使い易そうだ。
佩盾と脛当このあたりの部分は程度が特に良い。
袖は動きを良くする工夫があるが、脇の下に厚い鎖布が入っており、馬上で刀や槍を振り上げた時に下から突かれるのを防いでいる。本来は胴の内部に入れたのであろう。
袖
手のひらの家紋
兜は32間と控えめであるが、鉄質は良い。またクワガタも形通りのものだ。
金のメッキがはげているが、元より厚くけばけばしくしてなかったのだろう。
兜は大きい。幅20㎝、長さ25㎝。庇は3本の太い鋲でとめられている。
真ん中より後ろが凹んでいる。
面の鼻と髭の部分は取り外しが出来る。ドラマなどでは、役者の顔が見えるようにはじめからついてない。面の色付けは他の部分とことなり、日焼けした肌の色、茶色になっている。表面にはしわがある。
この鎧は出来も良くて質の高いものである。だが、地味でおとなしいということで、江戸時代の特徴と、着用者の身分を示していたのではないか。
その他の装具は以下のものが入っていた。
旗立て 胴の背中に装着し、旗を立てる
采配
金色の厚紙を複雑に切ったもの
旗のかわりものか?一体化しており、伸ばすと長い。
幕末、西洋人の描いた当世具足姿の侍
(この項以上)