7 、鎖帷子(くさりかたびら)
鎖帷子とは、現在のボディアマ―で、頭から膝あたりまで、戦闘で着用する防具だ。
戦闘と言っても野戦ではなく、街中の主に刀による闘いで、幕末の京都で尊王攘夷派が幕府派、新選組などと切り合いをした際、またそれらに似た戦いに使用された。当然、科学的素材は使われてなく麻の厚い生地に細かく編み込まれた鎖が付けられている。
この防具の考えの元は日本の鎧にも使われているが、西洋の鎧や防具に多く採用されているものであった。欧州の博物館で見るに12-4世紀、十字軍の頃より欧州の騎士は鎖を網
んだ着こみを使用していた。この鎖方式は固形の鉄防具に比べると稼働性機動性が良かった。
日本では高級武士が野戦で鎧・甲冑の下に鎖を着込んだと言う。鎧・甲冑だけだと、脇のした、股などに隙間ができるからだ。総重量は6kg弱で着ていてもその重量は大した負担にはならなかっただろう。
従って、鎖帷子は日本独自のものでなく、戦国期、西欧から伝来したものが幕末に再登場したと考えられる。全部着込むとかなりの重量になり、行動を制約されるが日本刀のような
鋭い刃で触れば切れると言う武器には効果があった。しかし突く、打撃するなどの武器には
鎖の合い間から穂先・刃先が入り効果は薄れた。
保管が問題で、着込み汗をかく、そのままおいておくと鎖が錆びる。
この実物は鎖一つ一つに漆が掛けてあり、錆はほとんどみられない。英国にあったので気象条件も良かったのかもしれない。西欧の博物館にあるものは鎖が錆地であるが、日本のものは漆がけである。
① 頭の部分
上は8枚ずつ3段に組み合わされた円錐形の帽子。それに側面に布に鎖が縫い付けてある。
2枚の側面は重なり、胴の襟と重なり、後頭部も保護する。顎紐で固定する。
部分的な防護着より、バランスが良く、しかも顔を除く頭全体を防護する。
全体の大きさ 高さ35㎝、頭の周り60㎝
鉄板の大きさは 下から6x5、5x4.5、3.5x4㎝、(先が底辺)
鎖の環数 約1000個(500個が2面)
鎖の太さと直径 直径6mm、太さ0.35㎜
② 胴着
鎖の数は全体で15,000-個くらいになろう。江戸期の鎖製作法は針金を切り、丸めてつなぐ、焼きを入れ、硬くして、漆がけするという手間のかかる方式で気が遠くなる時間が掛かったであろう。布は何枚か重ね厚い。縁は皮で補強してある。
胴回り96㎝、袖を入れた横長100㎝、襟高7cm、裾まで73㎝
鎖の環はやや大きい直径8mm、太さ0.7㎜
両側を合わせ皮紐で固定する方式。
鎖の環のつなぎ方、胴の部分
③ 籠手
この籠手は恐らく胴体と違うものであるかもしれない。胴体の袖はひじまでしかなく、これに籠手をつなぐ。つなぎ方は簡単である。皮紐の環に骨の柄を挟む。ここは戦闘には重要な部分で動きを良くする工夫がある。また鎖も細かい。小手の部分は親指と握った全面を覆いう。皮紐の環に指を入れる。鎖の環は細かく片方で約1500個ある。
長さは34㎝、太さは真ん中で30㎝だが、裏になる部分の紐で調整できるので、着用は最初に籠手を着用し合わせ、胴衣を着てつないだと考えられる。
鎖の環は直径5mm、太さ0.4mm。
鎖帷子はボディアーマーの元祖であり、防御できるだけでなく、攻撃もできると言うことが
この種の防御着の鍵だ。また着用に鎧・甲冑のように時間をかけてはいけない。
10分くらいで着用、刀を差す余裕がないと実用的ではないだろう。
価格、下手な鎧以上であったことは確かだ。鎖を万の単位で編んで着るものにする。
これは大変な作業であっただろう。全部手作業の時代、合わせて2万個ちかい環の鎖を製作するのは気が遠くなるような作業だ。
(この項以上)