8、木製武具の数々

①杖(じょう)
元は帯刀できぬ農民が木製の棒で身を守るための武具と術であった。

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上六尺棒、下木刀
現在は警察官が使用している。相手が短い刃物で襲ってきてもある程度の修行を積んでおれば十分に役に立つ武具である。「杖術」は剣道連盟では「剣道」「居合道」と並び3つの公式な術であるが、居合と同じく演武であり、競技はない。
演武は木剣(ボッケン)との合わせであり、刀で切り付けられた状況を想定して行う。攻撃としては払う、突く、叩くなどがある。

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現在、日本の警察が使っている杖は長さ120㎝、直径24㎜の白樫の短いものだが、戦国時代には他の武具と同じくもっと長いものであった。
江戸期には六尺棒を言われるように長さ180㎝、直径28㎜、白樫に漆がけの
ものだった。(侍屋敷の門番や捕りものに使われていた)
現在、日本には幾つかの江戸期からの流派が残っており、流派では六尺棒を使用している。

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野球のバットを車に積んでいても職質に遭う日本では杖も持ち歩くことはできまい。

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(麻布署の武道始め式より、演武とは言え迫力があった)

②明治の「刀狩り」と木刀
現在、日本には登録された美術刀剣類はどれほどの数が存在するのであろうか?戦後、GHQが登録制度を作り、江戸期の刀剣、槍、古式銃を個人が持つことが出来るようになった。登録証はモノについているので、所有者が変わっても有効だ。ただ、登録が正確でないのが問題だが、優れた制度である。
明治4年明治政府は散髪脱刀令を発令し、さらに明治9年(1876年)には帯刀禁止令、所謂「廃刀令」を発令した。士族の反感を買い、士族反乱の背景の一つとなった。一種の日本の戦国期より脈々と現在も続いている民間に武器を持たせない「刀狩り」の一種と人文学上は規定されようが。
「腰が寂しい」と言う理由で、木刀が作られた。鍔などは凝ったもので、遠目には脇差のように見えるが腰から抜いても吠える犬くらいしか叩けない。
以下はその一つの例である。同じようなものを江戸期、寺子屋に行く子供、または中間に使わせたと言う説もある。

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③剣道と木剣(ぼっけん)もしくは木刀
明治10年の西南戦争、及び日清、日露の戦争で、剣を修行したものが刀を使う
白兵は非常に効果があることが証明され、爾後1945年の敗戦まで帝国陸軍の
曹長以上は刀を帯びた。剣道は学校の重要な体育科目であった。これもGHQの影響があり、戦後数年間は活動が禁止された。歴史上、すでに15世紀くらいから防具を付けての鍛練を行い、江戸期には現在に近い完全な防具が完成し、
竹刀を使うようになった。

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なお、映画やドラマにおいてように木刀で競技をするということはなかったと確信する。危険が大きすぎるからだ。だが、木刀は武器として十分に役に立つものなので、型を示す演武だけでなく、攻撃、防御の武器として使用されたであろう。

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下のもの木剣は振りの稽古に使用した重量級である。
全長107㎝、4x3㎝の太さ、900gの重さ

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庵もしっかりしており先が重い。同じものが空自入間基地の資料館にあった。

稽古に使用した脇差型の木刀

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剣道画像は麻布署の武道始め式より

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余談ながら警察の武道は観ていて興味がある面白い。外国の警察にも「道場」があり武術を鍛練させているところがある。例、フランスの柔道
(この項以上)