13、 高島 秋帆が輸入した砲種の図

高島 四郎太夫 秋帆が佐賀藩の求めに応じて提出した彼がフェートン号事件以来輸入した兵器の図である。嘉永元年十月(1848年)

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奥書き

① 臼砲

すでにオランダ人が江戸、愛宕山で実験し暴発事故があった種類の砲だ。19世紀初頭、ナポレオン戦争期、仏軍が英軍の艦艇への攻撃に使用し、効果のあった兵器だ。アメリカ南北戦争においても大規模に要塞や艦艇の攻撃に使用された。射程は短いが威力は大きかった。目標が観察出来ないところからも発射できた。

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② 榴弾砲

一番大規模なものであろう。仏は多砲種を7つに統合し効率化を図っていた。オランダは仏の占領下にあって、英国と対峙していたので、フェートン号事件のような事件が発生した。

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12ポンド砲くらいか

③ 野砲

砲と砲車がセットになり、機動力があった。4キロ砲と呼ばれるものであろう。仏はメートル砲を採用し、野砲の統一に成功していた。

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④ 山砲

野砲の砲車間隔を狭くしまた分解できるようにしてあった。砲身も軽く製造してあった。(射程や耐久が一般の野砲とは異なったが)

アルプスなどの山岳地帯戦闘においては人力で、砲や砲弾を搬送した。

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⑤ 軽砲

歩兵の行動を援助する分隊砲のような役目があった。

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⑥ ゲベール銃

高島 秋帆が輸入した頃にはすでにパーカション方式は欧米では開発されていたが、燧石銃も一般的であった。高島が輸入したのは燧石式銃であった。
(この項以上)