2 、インド製のエンフィールド銃が日本に輸入されていた
この二つバンドのエンフィールド、どことなく本家本元のものと違うと言う感じを抱いた。壬申刻印、銃身と銃床にあり、登録証もある。程度も悪くない。
全体の形はエンフィールドだ。しかし木部は欅のような木材で、ライフリングはスプリングフィールドよりは深く、溝の部分は細いが3條しかない。
全長125㎝、銃身長84㎝
欅製の銃床は日本の火縄銃、古い猟銃に見られるので、もしこの銃床が日本製だったら、と考えると、その台の大きさからこれは考えられない。日本の銃床は小さいのだ。
ライフリングは錆はあるが深い
このエンフィールドの写真を英国の専門家のところに送り、意見を聞いた。
「19世紀中ごろに英国がインドの工廠で製造したものではないか。」と言われた。
インドとエンフィールド銃は切っても切れない重要な関係にあった。19世紀なかばエンフィールド1853年式は、ミニエ方式の小銃として、当時英国がインドを植民地支配すべく組織した傭兵、シバーヒーに支給されることになった。
シバーヒー軍団は指揮官・一部下士官は英国人であったが、カーストの中では比較的に上層のヒィンドー、イスラム教徒により成っていた。ところがミニエ式銃は弾丸にグリースを使う。それらが宗教的に彼らの尊ぶ、もしくは嫌う、牛脂、豚脂を使用していたと言われ、それを煽る勢力により、セポイの乱、1857-58年が起こった。英国は1857年にインド帝国を連邦に入れ植民地化した。
爾後、英国軍と東インド会社がインド(当時はバングラデシュ、パキスタン、スリランカも含む巨大な地域)経営を第二次大戦後まで続けた。セポイの乱、
その後、多分1860年代にこのライフリングが3條のエンフィールド銃がインドに設立された工廠で製造されたのであろう。英国の専門家より価格を聞いてきてので、珍しいものであるのかもしれない。このような経緯の銃が日本に輸入されていたと言う事実は実に興味深いが、推測では、英国→アメリカ南部→日本と言う道のりできたのではないか。明治維新前にインドから日本に直接輸入されたとは考え難い。
銃床の木材は原産のものであろう。口径は・586くらい、スプリン不フィールド
銃と同じであった。また日本の古い胴乱に入っていた早合のミニエ弾(3つの筋がない、凹みだけ)を銃口に合わせてみると、大体、この弾丸だな、と言う噛み方だ。なお、ミニエ弾には・577から・587くらいまで幅があるが、これらを総称して・58口径と呼ぶそうだ。
壬申刻印は銃身と銃床に打たれている。
サイトがオリジナルかを聞いたがサイトはオリジナルであるとの返事だった。以上