11 、日本にあった後装式銃各種
日本には明治維新(1868年)の前2年間と後1年間、計約5年間、アメリカ独立戦争の余剰兵器などの小銃が数十万挺輸入された。
後装式も、スペンサーなど騎兵銃、またヘンリー・マルティーニ、シャスポーなどが明治政府の東京工廠に各藩より返納された。明治政府は新しい軍の制度化を図る、そのために統一した兵器が必要であった。フランス軍事顧問団のルボン大尉以下の提案で後装式スナイドル銃、アルビーニ銃を制式化して、まだ前装であったエンフィールド、スプリングフィールドなどのミニエ方式の小銃もスナイドル銃に改造した。現在はこの種の銃はほとんど日本に残ってない。
日本が銃を国産化するに従い、また武器商人の手を経てアジア各国に輸出されたからだ。また、慶応三年以前に存在したという刻印などの証明がないと登録証も発行してくれない。登録証がすでに存在するものは有効である。
スナイドル銃スリングを使った立射構え(NHKにて撮影のリハーサル)
後装式に改造された銃は多くはエンフィールド、スプリングフィールドなどの欧米のミニエ方式は横開け式に。欧州の銃はアルビーニ方式、縦開け式になった。日本には両方存在したが、大体が14.6-7㎜ほどで同じ弾薬を使用した。
初期には底だけ金属でパトロン紙包の弾薬。はじめてセンターファイアーのボクサー雷管を使用した。後には全金属薬莢の弾薬。いずれも弾丸はミニエ方式の拡張弾丸で発射薬の爆発で、後部が拡張してライフルに噛み込んで飛んでいった。銃身はミニエ式のエンフィールドなどそのままだからだ。
3挺の一番下がエンフィールド銃で、上がスナイドル銃、中がウイルソン銃。
形、タワーの刻印、長さ、口径などはほぼ同じである。(個人蔵)
上、スナイドル銃、下、ウイルソン銃 弾薬はダミーで無稼働。
以下、
① スナイドル銃、②ウイルソン銃、③アルビーニ銃、④和製アルビーニ方式銃
などを紹介する。以上