21、幕末少年兵の小銃考
百虎隊像(小銃は短い)
幕末、各藩に於いては少年兵の養成に熱心であった。剣術に始まり、射撃は重要な要素であった。現実に東北の諸藩では少年兵が出陣し、会津、日本松などで今に語り継がれている。薩摩、長州など倒幕派の藩でも少年兵は養成された記録がある。
火縄銃には明らかに年少者用の鉄砲が存在する。「馬上筒」にひとくくりされているが寸法が中途半端である。では少年兵用の小銃の定義は何か、身長 約150㎝の10代半ばの少年が銃口から前込めできる大きさであろう。
この「土佐三千」銘の和製ゲベール銃がそうだと考えられる。
会津の百虎隊は、成年用の小銃を切り詰めたと言われているが、この銃は
①軍用銃である。②年少者用である。と言う物理的な理由から土佐藩の少年兵用に製造されたゲベール銃であろう。
頑丈な造りである
全長123㎝(通常より10㎝短い)、銃身長86㎝(10㎝短い)、口径12㎜(ゲベールは最低でも14㎜ちかくある)、銃床は通常の三分の二ほどの大きさだ。(通常厚さは5㎝ある)
(独特な輪、先のかたちにバネの役目をさせている)
昭和になり南部で開発製造された三八式小銃型教練銃7/8サイズを彷彿とさせる。しかし「これは猟銃を小柄の人のために造ったのだ」と言う意見もあろうが、猟銃なら、床板鉄、先に長い銃床、銃輪、銃口金などわざわざ銃の重量を増すものは付けない。和銃の形式は照星、照門それに銃輪の形に残っている。
恐らく他の藩でも同じような形式のものは存在したのであろうが、現在に残ってない。
(上質な木材だが暴れてしまい、ロックが外れている)
握りの小ささからも手の小さい射手用だ。幕末、少年兵養成は明治になり富国強兵化の時代に成人した彼らが日清戦争などに指揮官として活躍した基礎となったとも考えられる。(この項以上)