洋式銃



24、近藤 勇を狙撃したのはミニエ方式銃か

BS日本テレビ(製作大阪の読売テレビ)の歴史番組『歴史捜査』でのテーマへの協力だった。キャスターは女たらしの「片岡 愛之助」と言う役者。
image001

近藤 勇 新撰組局長は戊辰戦争の鳥羽伏見戦闘の直前、12月半ば夜、当時新撰組本部が置かれていた伏見奉行所を騎乗で出たところを、狙撃された。
右肩上部を貫通する重傷で、骨と筋肉の破損のため、それ以後、刀をとることができなかったそうだ。

image002
近藤 勇

いろいろな検証がこの番組の趣旨であり、伏見の人たちによる場所の認定、
記録による怪我の程度、現在の医療関係者の意見などで構成されていた。

image003
安西博士のコメントも

この事件は、近藤 勇自身は一か月後には明治維新を迎えるこの時期、すでに大者ではないし、歴史上、坂本 龍馬などと同じくならず者的存在であったから大事件でも何でもない。(井伊大老の暗殺などは歴史を変えたと評価されようが)

image004
小西先生とミニエ銃

我らの小西 雅徳先生が板橋資料館において、「どんな銃で狙撃されたか?」と言う質問に「この時期、もう火縄銃と言うことはない。鳥羽伏見の戦闘がせまり、各藩は洋式銃(ミニエ方式)を装備した藩士を付近の大勢おくりこみ一触即発の状態だった」と語った。
その通りだっただろう。

image005
ミニエのライフル

それで順番が回ってきて、私がニッコー栃木総合射場で、火縄銃とミニエ方式銃の発射比べを行った。

image006

予算の少ない番組らしく、交通費もなしで射場に行った。撮影隊は簡単なもので、顔を出さない女性プロでュサー、カメラマン、助手だけだが、手際はよかった。
まずは火縄銃を数発、標的に撃った。

image007
火縄銃の射撃

それから虎の子のミニエ方式銃(ウイルキンソン)を立射で8発標的に撃った。
その様子を撮影し満足して帰った。

image008

 

image009

各々の標的の弾痕を計り、直径が倍近くあるから、威力は倍だとそう言っていたが、訂正もしなかった。その通りに番組のナレーションは入っていた。
弾痕の直径は二乗倍しなければならない。

image010
火縄銃の弾痕は実際は10㎜

ミニエ方式銃競技は伏射100mだが、立射で撃って呉れと言うので、立って50mの距離でライフル100m標的を撃った。装填が楽であったが銃が私には大きい、重いものであったので、如何にと危惧したが、全弾標的に命中していた。

image011
人像的なら全弾命中

ミニエ方式銃は.58口径、14.66㎜の大口径小銃だから当時の医師の記録にあるよう右肩の骨を砕いて貫通したなら、死に至る重傷になろう。クリミア戦争、
米国南北戦争の負傷者の写真では腕に弾丸が命中した兵士は、すっぽりと腕が
ちぎれていた。失血死しなかった例だ。

image012
たまたま火縄銃は射的用の小口径銃であったので、このような差が出た。
私はこの二つの弾丸のエネルギーと命中率からミニエ方式銃はこの火縄銃に
比較して8倍くらいの威力があったと推定した。

この事件、近藤はおそらく夜間と言うこともあり、小口径拳銃で至近距離から狙撃されたのではないか?と言うのが私の推察だ。
当時の夜間、言葉どおり「闇夜に鉄砲」で距離をおいて狙撃などは不可能に
近い。

(この手のあまり意味のない厚かましい取材は断るべきだが、「日本銃砲史学会」が公式に引きうけてしまったので、協力した。)
(この項以上)