火縄銃



7 、威力の実験

-はたして鎧は鉄砲に対抗できたか-

日本に16世紀半ばに伝来した火縄式の鉄砲は、当時の戦いを変え歴史を変えた。 しかし鉄砲が戦場で使用されるようになってからも、具足、鎧兜の類はずっと19世紀、江戸時代の終わりまで使用されていた。鉄砲伝来後の 具足や鎧兜はそれ以前と様式や材質が明らかに変化しているので、これは鉄砲玉に対しての変化であり、近世のそれらは鉄砲に対して効果 がある、鉄砲玉を防ぐことができると誤解している学者もいる。
では実験してみればよいではないか。実際に本物の日本の火縄銃を、当時と同じような装槙の仕方で玉を込めて、当時の健全な具足なり鎧を射撃してみればよいではないか。 これは実に簡単な解答方法ではあるが、なかなかそうは簡単にものごとは進められない。 まず日本の幾つかの射撃場では、火縄銃は所定の団体(日本前装銃射撃連盟)に入り、その条件をみたせば、射撃ができる。2年に一回の 世界大会もある。しかし、射撃場で撃てるのは所定の標的のみで、他のものは撃てない。射撃場以外の場所では当然、射撃はできない。従 って、日本では火縄銃をもって鎧を撃つことはできない。

今回の私の実験は、アメリカ駐在の機会に、日本から本物の鎧を持って行き、アメリカで射撃可能な日本の火縄銃を調達して、これらを使用し たものであった。 私自身、過去15年間にわたり、火縄銃は七千発ちかくは射撃しているので、火縄式とはいえ銃の能力にはたいした違い無いので、50ー10 0メーター位の距離であればそれ相当の威力があり、その貫通力は鉄板3ー4ミリはある、とみていた。従って私にはこの結果は実験前より予測ができていた。
鎧は鉄砲に対して有効であるという意見の方の根拠の多くは、各地に残る「試し胴」と言われるものの存在があったことは否めない。「試し胴」 は鎧の胴を実際に鉄砲で撃ってみたその痕が残っている胴のことで、玉の痕が少し凹んでいる位のものがほとんどである。この「試し胴」の背景は江戸の平和な時代に、甲冑師が鎧の品質を証明するために行ったものと言われているが、玉が貫通してしまっては意 味が無いので、貫通しないように撃ってもらったのである。前装銃は完成された実包を使用しないので、火薬の量を加減することで、威力を調 整できる。理論的には火薬の量を半分にすれば貫通力は半分になり、倍にすれば倍になる。 火縄銃の銃身強度は大体、普通に撃つ場合の3ー4倍はあるようだ。
と言うことは、戦場では距離や目標にあわせていろんな使いかたをしたのであろう。 普通に撃つ場合というのは、50ー100メーターの距離で、安定した命中率を示す火薬の量で、玉の径が約10ミリのもので約2.5グラム位で あろう。玉径が10ミリの銃は一匁五分玉と言い実際戦場で使用された口径よりは小さい。戦場で多く使われた口径は 11ミリから18ミリ位である。これは火縄銃の言葉では弐匁から十匁位である。


この実験は結論から言うと、火縄銃の前には鎧は無力であることが証明できた。 秋も深まったある日、実験は米国前装銃協会のサイロス・スミス氏の協力を得て、ニュージャージー州のロックバレー射撃場の前装銃射場に おいて実施した。50メーターの距離に日本から持ち運んだ具足の胴の部分を置いて、一匁五分筒を用いて射撃した。
この胴はお貸し具足とよばれる、士族以下の兵卒に貸し出されたもので、一般の鎧よりは簡略に作られているが、鉄板の厚さはほとんど変わ らない本物である。鉄板の厚さは平均1.4ミリで、鉄板に布を張り漆を厚く塗ってあるので、ずっと厚く見える。重量は胴のみで約4.5キログラ ム、兜、面ぽう、篭手、脚絆などの総重量は10キログラム弱になる。これに武器と装具が加わるので、総重量はすぐに30キログラムちかくに なる。 身体に装着するものの重さとしてはこの位が活動する限度ではないか。
なお、よく映画などで、具足や鎧兜を装着したまま地面に寝ているシ ーンが見られるが、実際には装着状態で10分以上、横になったりはできない。意外に厚さが無い、と思われるであろう。 具足は薄い、しかし高級な鎧は厚いのではと思われるが、鎧でもせいぜいその厚さは2ミリ位である。これ以上厚くすると、着用している者が 行動出来なくなる。

実験の最大の難関は50メーターの距離で、はたしてうまく胴の的確な位置に命中させることができるか、という点であった。それより近いと、 だから打ち抜いたと言われかねないからだ。最初に当てるところとして、胴の胸の部分、腹の部分、それと中心から離れたはじの部分と決め た。はじに当てたかったのは、はじの曲面になっているところは玉をはじいてしまうのではないかと、予測したからである。また前面を貫通した玉は後面をどのように打ち抜くか、これも興味のあったところである。従って的になる胴の固定には充分に気を使い、標的 の枠を利用して、その地面からの高さは人間が立っているのを想定したものとした。 まず、一般の紙の標的を射撃して練習をし、グルーピングが良くなってから実験を実施した。スミス氏が玉の速度を測定する装置を設置し、こ の射場がやや下っているので、立射で撃つことにした。私の場合、競技の立射の平均は83点位、膝射のそれは86点位で、膝の方が得意な のだが。命中させる範囲は各々、直径約7センチ位で競技用標的の10点と同じ位の大きさである。 指定のところに命中しないと、胴が穴だらけになるし、全体に強度がなくなり、実験の成果を問われる。紙の巻状の標的は狙いが全体のなか でみれるので、極めて付けやすい。 それに比べると、この胴だけの的は50メーターの距離でみると、あまりにも小さい。

火縄銃を立てて、銃口からこの銃のこの距離で一番命中率の良くなる火薬の量である、約2.5グラムの黒色火薬をそそぎ込む。銃口の径は 約10.2ミリで玉径よりやや大きい。 この口径と玉径を決めるのは古来「玉割り」と言われ非常に重要な射撃の要素のひとつであった。玉が口径に対して小さすぎると威力と命中 率が低くなり、あまりにきっちりしてると、2ー3発撃つうちに玉が入らなくなる。 火薬の量はその発射音で適量が、ある程度分かる。少ないと「スポーン」という迫力の無い音で、多すぎると「ドカーン」という感じで爆発音に ちかい。日本の火縄銃は機構が簡単で銃身の肉厚がかなりある、一番厚いところで口径の約半分、現代の散弾銃などに比べるといかに厚く 重く出来ているかが分かるであろう。勿論、適量が一番命中率が高いが、昔の戦闘では様々な目的でその火薬量を調整して使用したことは 予想に値する。 銃口が小さいので、私は漏斗を使い、火薬を外にこぼすこと無く、正確に適量が入るように注意する。
続いて、鉛の円弾、直径10ミリをパッチと言う丸い中地の布にくるんで銃口へ小型の木のハンマーで軽く叩き込む。木製のローダーと言う棒 で20センチほど押し込む。真鍮製のラムロッドと言うさく状で一番奥まで押し込む。この圧力のかけ方にもこつがあり、一発ずつ一定してなければならない。 火蓋を開け、火皿に細かくした火薬、口薬を盛る。火蓋を閉じる。火ばさみ(ハンマー)を上げそこに先に火のついている火縄を挟む。火縄は村上銃砲店製のもので、これは外国で人気がある。おおよその狙いを付ける。火蓋をきる(開ける)。きっちり狙いをつけ、引き金を引く。瞬時に 「ズドーン」と着火する。文章に書くと長いが、銃を立て、火薬をいれるところから、私がゆっくりやって約50秒位、早くやると25秒位でできる。 引き金を引いて、瞬時に着火して玉がでなければ、不思議なことに当たらない。なんかの拍子にちょっとだけ遅れることがある。そうすると玉は とんでもないところ、数十センチ外れてる。前装の銃は完成された実包を使わない。従って、玉を発射するまでにいろんな要素が関わり、それらすべてに充分に配慮しなければ、精密な射撃をすることができない。

第一発目は胸を狙った。「ドスーン」という音がして胴が揺れる、命中はしたが、残念ながら、胴のやや下の部分、この胴が七段になっている が、下から二段めに当たった。 この玉はいとも簡単に鉄板を貫通して、後ろの鉄板を打ち抜いている。しかも、玉の入った穴の大きさは20ミリかける20ミリの大きなもので、 とても口径約10ミリの銃から発射されたものが開けたとは思えない寸法である。後ろの鉄板に開いた穴は15ミリと小さくなっているが別にも うひとつ凹みがあるので、鉛玉がふたつ以上に分かれたのであろう。入り口の穴が大きくなったのは、玉が柔らかい鉛なので鉄板に当たった 時ひしゃげて大きくなったからに他ならない。
次弾は胴の腹を狙う。これは狙いどうり胴の七段めの真ん中に命中する。今度はもっと大きな20ミリかける30ミリの穴が開き、後ろにも13ミ リの穴を開ける。やはり玉は幾つかに胴の中で分かれ、もう一つ凹みができている。胴の中に人間の身体があっても、同じ様な結果であった ろう。従ってこの弾痕を見る限りどんな処置をしようとも、この間にある肉体が助かる余地はまったく無いと言ってよいだろう。 火縄銃の玉が鉛なのは、前装の銃は玉を込めるのが難しく、柔らかい金属でないと銃身を痛めてしまう恐れがあるのと、鉛は溶ける温度が低 く、玉型を使い丸い玉を作り易いからである。19世紀末になり鉛の弾は人体を大きく傷つけるのでもっと固い金属で装甲されるようになった。 この実験でも火縄銃のような銃でも鉛の玉は実に残酷な威力を生むということが分かる。
第3発目は胴のはじを狙う。金属などの角度が付いているところは玉をはじくのではないかということを調べたく、ここを撃ってみる。 このように的を外して撃ってみるのが一番難しい。 うまい具合にはじに当たる。具足の胴がよじれるように揺れるのが発射の煙をとうして見える。胴の前と後ろの部分を繋ぐ蝶番の2センチ程内 側に当たるが、この玉も前の鉄板を横長に貫通している。この玉は前後の鉄板の隙間から抜けたらしく、後ろの鉄板には抜けた痕は無い。鉄 板は内側にするどくめくれあがっているので、脇腹を大きく抉られるに違いない。角度が付いているところでも、鉛の玉は容赦なくつきとうる。

スミス氏が一発ごとの初速を測定してくれた。1550フィート秒から1590フィート秒で安定しているのと、意外に早い。これは約480メーター秒 になり、現代の拳銃のそれよりも早い。 使用した火縄銃は19世紀初頭の国友筒で、二重ゼンマイからくりという上等な機関部を備えたもので、全長130センチ、銃身長100センチ の日本の火縄銃としては一番一般的な大きさのもので、銃腔内の状態も最高のものであったことは言うまでもない。 この実験の結果、50メーターで二枚の鉄板をかるく打ち抜いているので、貫通力は約3ミリ以上であろう。しかし火薬の量を増やせばもっと威 力は増大するので、あなどれぬ武器である。
この50メーターというのは微妙な距離で、もしこの一発を外すと、次を装槙するまでの間に、鎧を着用し刀槍を持った武者が、鉄砲の位置まで駆け寄って来れる計算になる。 日本の火縄銃の有効射程距離はどの位であろうか。約100メーターと推察する。100メーターの距離なら、かなりの確率で人間の大きさに命中させられる。またその威力もある。前にも書いたが、火縄銃は火薬の量を増量できた。従って遠いところを撃つ際は火薬を倍位入れるという使いかたもできる。100メーターの距離なら鎧武者も確実に倒せた。城の堀の幅は大体この長さである。


戦場で具足、鎧兜が鉄砲の前に無力であることは分かっていたのに、なぜ江戸時代にも鎧兜を着用したか。幾つかの理由はあろうが、戦国 時代の大きな戦闘、文禄・慶長の役の影響は考えられないか。半島でのこれらの戦闘で相手先は鉄砲を多く使用しなかった。 当然ながら、刀槍・弓に対して具足・鎧兜は有効であった。江戸時代は戦いは無く、なんでも形骸化した、このためこれらが残ったのでは無い か。 もう一つの理由は鉄砲と刀槍は同時に使われていて、鉄砲がすべての要素でなかったかであろう。 いずれにせよ、当時の人々も具足・鎧兜が鉄砲の威力の前には無力であることはよく知っていた。 「雑兵物語」の中に「鉄砲は威力がある。鎧兜を付けていても、魚のふぐと同じで当たったら死ぬと思え」と言わせている。
最後にこの研究に的確なご指示をしていただいた日本ライフル射撃協会の安斎実会長、アメリカ前装銃射撃連盟のバッキー・マルソン会長、 サイロス・スミス氏の協力に感謝する。