3 、零式艦上戦闘機五二型

靖国神社遊就館ロビー(撮影可)に展示された、再生品だがここまでよくぞ完成したと当事者たちの苦労を賞したい。左手のガラス戸が開き元操縦士たちの記念撮影をしていたのを見たことがある。

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この機体は実は数機分の機体、破棄されていたもの、戦闘で破壊された部品から再生された。勿論、見物人には分からない。
胴体と主翼は1970年代半ば、ラバウルで発見され持ち帰られた。
その他は1980年代半ばヤップ島に埋もれていた数機の機体の部品であった。
河口湖自動車博物館でえいえいと復元作業が行われ、機体番号は主部品のものとした。帝国海軍は終戦まで零戦を主力機とした。いろいろな改造、武装強化をしたが、戦争終結前の被撃墜率は、日中戦争、開戦時に比べるとはるかに悪くなった。この主たる原因は操縦士の訓練時間の差が大きかった。この機体に発動機は入っているかどうかは不明だ。機体展示の後に「エリコン機銃20㎜ドラム弾倉付」が展示されているが、この機銃はこの形式の機体のものではない。この形式の機体には河村博士開発の一式20㎜改が搭載されていた。この機銃は武器学校に2門ある。取り換えれば良いのにといつも思うが、武器学校とこの施設、コミュケーションを取るのは今の段階では問題があろう。

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ラバウルには終戦時、飛行可能な零戦は2機しかなかったそうだ。そのうちの1機はニュージィランド・オークランド軍事博物館にあるが、複座に改造してあった。戦闘用と言うより、偵察機として使用していたようだ。表面は凸凹で往時の苦労がしのばれた。35年ほど前に訪問した。
零戦に関して書かれたものは多い。本人にもお会いしたことがあるが、坂井 三郎氏の「大空のサムライ」が飛行、理論、戦闘、と言った面で正確であると感じている。源田 実氏は本当に偉かったのかは著作を読む限り、? 予科練と兵学校の「学歴の差」はあったのだろうが、飛行理論一つに関しても坂井氏の方が正しい記述が多い。
坂井氏は電車の中で中学生が2人会話しているのを聴いてがっかりした話を書いていた。「おい、日本とアメリカが戦争したこと知っているか?」「ほんと!
それでどっちが勝ったのだよ?」「日本に決まっているじゃないか」と言うような内容で、日本の教育はどうなっているのかと嘆いていた。
そういう意味で都心にあるこの施設は重要だが、専門の学芸員がいるのか、武器兵器のことは多少おざなりだ。特に戦跡からの遺物、これらの展示も重要であろうが、延々とこれでもか、これでもかと並べてあるのは少し、がっかりする。
人生に「もし」はないが、もし何でもやりたいことをやらせて呉れると神様が言ったら、「過去に戻り、零戦を操縦してみたい。」