火縄銃



 8 、前装銃世界選手権

-前装銃射撃は文化であり文明である-

前装銃とは、銃口から火薬、弾丸などを装填する方式の銃器のことで、19世紀の半ば頃より様々な形式で開発された後装式の銃器にとって 替わられ、現在では実用に使われることはほとんど無い。
前装銃には主に3種の発火形式があり、時代順に1)火縄式、2)火打ち石式、3)管打ち式がある。火縄式にはバネを使わない式、使う式が ある。 銃腔内の種類では、滑腔銃(内部に溝が無い)とライフル銃(弾丸が回転するように溝が切ってある)の2種類に分類される。さらにライフル銃 でも丸玉を使うもの、椎のみ型の弾丸を使うものに分類される。 用途別には銃身が長く両手で支えて射撃する小銃と、片手でも射撃できるピストルに、 また小銃は軍用銃と一般銃に分類される。
以上のような分類の組合せで多くの種類の前装銃が存在し、そしてこれらは火器が出現以来、何百年間使用されてきた。 日本の火縄銃は、ほとんどがバネのある火縄式の滑腔銃であり、前装銃の典型のひとつである。アメリカのケンタッキーライフルと呼ばれるも のは火打ち石式でライフルがあり、猟用などに使われたもので、これも前装銃の典型である。 ミニエー銃は椎のみ型の弾丸を入れ、パーカッション(管打ち)の発火方式の軍用ライフル銃で、やはり前装銃の典型のひとつである。レボルバーのシリンダーに管が付いている形式の拳銃も前装銃である。
このような主に16世紀くらいから19世紀の半ば以前に使用されていた形式銃器の射撃大会がこの「世界前装銃射撃選手権」である。使用する銃器は以上のような前装のものに限るが、当時製作され改造してない「オリジナル」と、現代に元の形状で製作された「レプリカ」の2つの種 目に厳密に分類されている。また銃器により、25メーター、50メーター、100メーターの3種の距離で各種の標的が用意される。

主催は国際前装銃射撃連盟で現在19カ国が参加しており、アメリカ、カナダ、ヨーロッパの各国(英国、ドイツ、フランス、オランダ、ベルギー、 スイス、デンマーク、ノルウエー、オーストリー、スウェーデン、イタリー、フィンランド、スペイン)、南ア、オーストラリア、ニュージーランドと日本 がメンバーである。 競技は以上のように多様な形式、及びオリジナルとレプリカと団体競技があるので40以上の多種に渡る。
日本の火縄銃の競技は「膝台」(HIZADAI),「種子島」(TANEGASHIMA)、「長篠」(NAGASIMO)の3種目がある。「種子島」は立射で、「長篠」は立射の団体戦である。「膝台」は オリジナルの他レプリカの種目もある。 他の主要な種目は、マキシミリアン(火打ち式ライフル)、ミキレー(火打ち式滑腔銃)、ミニエー(軍用ライフル)、ウイットワース(フリースタイルのライフル)、コミナッツオ(火打ち式ピストル)、クーチェンルーター(管打ち標的ピストル)、コルト(オリジナルレボルバー)、マリエッテ(レプリカ レボルバー)その他女子の種目、団体の種目、そして火打ち式、管打ち式散弾銃のクレー射撃競技がある。

前装銃射撃の面白さでもあり、難しさでもあるのは前装銃は完成された実包を使用してないということにつきる。近代射撃は精神と肉体と銃器 の完全なる一致が可能にするパフォーマンスであるが、前装銃にはこれに一発一発の手作りの装填という要素が絡む。弾丸の大きさと質、火 薬の種類と量、装填に使うパッチという布きれ、口薬(発火薬)、発火剤(火縄、火打ち石、パーカションなど)、装填に使うローダー、ラムロッ ド、ハンマーなどの道具、汚れを落とすソルベント、火穴に入れるせせり、火薬を入れるチューブや漏斗などなどあまりにも多くの物を必要とし てそれらの使い方で性能がひとつづづ違ってくる。この他に射手の目を保護するものの装着が義務つけられており、音が大きいので耳栓も必 需品である。
このような射撃は近代ライフル射撃からは想像もつかない複雑なものである。しかも発射薬は黒色火薬であり、黒色火薬は無煙 火薬に比べると膨大な煙と煤を生み出す。従って射撃の後は速やかに銃を清掃し、消費した様々な素材を補給しなければならない。一度射撃に行くとこれらの作業と次回の準備のためどんなに手際よくやってもひとつの銃につき2時間は掛かる。時間消費型のスポーツであることに 間違いない。また前装銃射撃は自然との戦いでもある。温度、湿度、風、そして光に影響され、射手は絶えずそれらを計算に入れなければならない。射撃の原点であろう。
そして「創造力があり」「迷いのない者」が勝つ射撃であると思う。 しかしこれらの要素を自分で発見し、工夫し、良い射撃を成就した時の満足感は言い様のない高さであり、創造的かつ自己実現的なスポーツ であることも間違いない。

日本は火縄銃による、長い前装銃射撃の歴史があり、さらに幕末19世紀の半ばには管打ち式の有りとあらゆる前装銃が存在していたはず だ。その証拠にこの世界大会でも日本の火縄銃にちなんだ3種目もの競技が設立されているし、日本はなによりも現在この協会に参加してい る数多くない前装銃射撃の歴史がある国々のひとつであることに誇りを持ちたい。現在の日本があるのもヨーロッパの先進諸国に劣らぬ長い また規模の大きな前装銃射撃の歴史があったからであり、それが元で植民地化もされず独自の国体を維持出来たと、私は評価している。 現在我々が前装銃射撃を楽しめるのもこのような事実に裏付けられた背景があるからで、「長篠」競技も当時世界最大の射撃規模の戦いを世 界の人々が評価し、設けてくれたものである。
前装銃射撃は文明であり、文化である。日本にはこの独特の文化と文明が存在すると、筆者はこの大会に参加する度にこの感を強くするものである。 なお、日本では前装銃は古式銃という範疇に一括され機能上の差別化はなされてない。

-第17回世界大会 英国ワーウィク-

この回は当協会が設立され35周年に当たり、また日本が始めて参加して20周年に当たる記念すべき大会であった。先回のスイスに引き継 ぎ、英国のワーウィク市(ロンドンの北2時間の古城で有名な町)の1年半前に新設された前装銃専用のウェッジノック前装銃専用射場で8月 20日より24日の間開催された。20日の開会式は「ワーウィク城」で行われ、24日の閉会式は自動車工業の発祥の地である隣町のコベント リーの「自動二輪博物館」で行われた。 競技は21ー23日の3日間に分けて一時間毎に実施された。前装銃射撃の競技は30分間13発を射撃し上位の10発の点を集計する。今回の大会はフランスが不参加な他は18の国から394名の選手が参加した、大きな大会になった。
日本からの参加選手は、団長で日本前装銃射撃連盟会長でもある小野尾正治氏、関西の古銃・古時計の権威である沢田平氏、岡山のライ フル射撃選手の常定正氏、異色の射手赤羽加代子氏と筆者の5名であった。一時の日本の参加者の数に比べると若干の寂しさがある陣容であることは否めない。しかし日本ライフル射撃協会常務理事菊地孝之氏という超大物がマネージャーとしてチームに加わり、さらに射撃医学 界の大権威である霜礼次郎先生夫妻、昭和医大村田正先生、着付けの清水とく江女史などと選手の家族を含めた多様な応援団が付いた陣容であった。

英国は古式銃のような銃器にも通関管理が厳しい国のひとつであり、筆者は以前旅行中に大いにその複雑な手続きに悩まされた経験がある ので、今回は書類は勿論用意し、かつ数十名のアメリカの選手団と旅行することにしていた。練習などでもアメリカチームの世話になっていた ので、ごく自然なりゆきでこのようになり、不便な空港からの交通も同乗させて貰った。
この大会にはとにかく荷物が多いのである。銃は普通 のケースでなく、金属製の余裕のある丈夫なものに入れるし、身の回りもものを入れるスーツケースに加えて、射撃の道具、スコープと三脚な どを入れた箱、最低3個あり、これらはとても一人では持てない重量とかさがある。 このアメリカチームの旅行に遅れた選手がいたが案の定、彼の銃は3日間空港に留め置かれ、片道2時間の道のりを掛けて取りに行かなけ ればならなかった。 多くのヨーロッパの選手は自動車で来れるのでこの点有利であった。 アメリカの規則では黒色火薬の銃器は火薬弾丸を装填してない限りにおいては銃器でないが、英国は装填するしないに関われず時代により、銃器の範疇に入れられ手続きがある。また火薬の購入も許可制である。

今まで英国はドイツ、フランスに比較すると前装射撃においてはかなり遅れをとっていたように思われた。しかし今回の大会でその感は払拭された。この専用射場の開設にもあるとおり水準も高く、マナーが良い。標的審査なども専門的で高い評価を得ていた。
フランスの不参加はショキングな出来事であった。2年前のスイス大会の際に次回はフランス・ボルドーと決まっていたが、その後フランスの協会内部で難しい問題が発生し、急遽英国に変更になった。その後もこの問題は解決されず、フランスからは国際前装銃射撃連盟のポール・マルシャン会長夫妻以外に一名も選手も参加しなかった。マルシャン会長夫妻は非常な知日家で、今までもいろいろ日本選手団の面倒を見てくれた方々で、筆者の東京の自宅も訪問してくれたこともあり、今回の事態は我々日本人にとっても他人事には思えなかった。ちなみに1984年のフランス・ベルサイユの大会はこのマルシャン会長夫妻の仕切りで実施されたが過去のどの大会よりも華やかで、その後の大会の雛形と なる素晴らしいものであった。
今後、もし旧ソ連系の国々がこの連盟に参加してくるともっと面白いものになるし、旧ソ連にどのような前装銃がどのくらい保存されていたかも興味のあるテーマである。