9 、高度計2種

 

日本は第二次大戦中に7万機の航空機を生産した。航空機には各種の計器類が必要だ。
一番、シンプルな練習機でも、速度計、高度計、上昇計、ボール盤計、水準機、羅針盤とその他発動機関係の計器(回転、温度、電流、燃料、など)とADF、10種以上の計器が、計器盤に配置されており、操縦士の右ひざには航法計算板が取り付けられた。高度が上昇し、気圧、温度の変化により頭脳の働きは低下する。操縦士はそれらと闘いながら計器を頼りに飛ぶ訓練を受けた。天候が悪化すればなおさら計器は重要な要素となる。
この2種は日本の比較的初期の高度計だと思われる、「九五式2型」と「九七式」だ。
両方とも陸軍機に装備されていた。九五式高度計が制定された翌年、海軍は九六式
艦上攻撃機を、続いて陸軍は九七式戦闘機を制定した。この2機種は全金属製、低翼、
固定脚ながら、速度、旋回能力、武装などの戦闘能力は当時、世界水準の戦闘機であった。
高度計は基本的には気圧計であり、機体が高く上がると気圧が低くなることで高度を計測した。地上で下の釦を引き、解除してから回し地上の気圧に、また飛びたつところの標高に合わす。

①九五式2型高度計

 

表に大きく「高」の文字。直径80㎜、厚さ45㎜、最初の数字が1から一回り5、二周り10、なので1までが100mと推定される。単針である。したがって普段は500m以下の高度を飛ぶ練習機用、九六式艦上攻撃機、九七式戦闘機に装備されていた。これらの機体は開放天蓋(オープンコックピット)で、操縦士は外気にさらされ、そう高い高度を飛行するわけではなかったから、一目盛1000mまでの表示とは考え難い。はたして九七戦、一式戦、二式戦、高等練習機などで使用されていた。だがこの高度計は明らかに1000m、2000m、3000mと1000m単位の高度を判定するには難点があっただろう。

②九七式高度計

 

やはり大きく「高」の文字、直径80㎜、厚さ90㎜で、2本針、数字の表示も大きく異なる。間隔が九五式の半分で、一回り1000m、ここで短針が一つ動く、従って2500mとか、
の高度を読み間違え難くしてある。短針が一回りすると1万mになる。また気圧を示す数字の窓があり、ミリバールの単位でその時の気圧が知れる。

両方の高度計ともに背面のパイプからピトー管に通じており、外部の気圧を測る。
この二つの高度計は「株式会社柳製作所」の製造であり、九七式は昭和17年8月製だ。
九五式の銘板の製作年月は読めない。右が九七式の銘板、左が九五式。九五式は数字上は3万5000箇以上は製造されており、日本機の主なる高度計であったと言えたかもしれない。
だが、当時の製造番号がそのまま実際の製造数であったという確信はない。
(株)柳製作所を言う会社は新潟県長岡市に存在する精密機械メーカーであるがこの会社が戦前、中、○にYをマークで航空機計器を製造した会社かどうかは不明である。
他の製造会社としては「田中製作所」で同じものが、「東京航空計器株式会社」など多くの会社が他の航空計器製造に参画していたと考えられる。田中製作所は精密金型などの製品の会社として現存。

 

いずれも簡単な気圧計と言う構造であり、およそ四分の3世紀を経ても多分正確に高度を示すものと思われる。以上