16、雨ざらしはない戦後日本初超音速量産支援戦闘機 F-1
おそらく、F-35の製造では日本は大きな役割を果たすであろう。
日本の航空製造業は戦時中100万人の就業を得て、約7万機の航空機を生産した規模だった。戦後の連合軍の方針としては民間、軍用共に日本には航空機産業は復活させないというものだった。朝鮮戦争が勃発し米軍、相手側もジェット戦闘機を採用、空の戦闘は熾烈さを増した。さらに続く冷戦期、航空自衛隊はF-86を数多く装備していたが、1977年、戦後22年にして三菱重工業で初の国産支援戦闘機F-1が開発され、量産され、北の三沢、西の築地基地に配備された。それに従いF-86は退役した。コストは1機あたり27億円と算出されているが、77機が生産され、2006年まで使用された。
「日本初の超音速機」と言うので評判になった。
任務は対艦攻撃で、武装もASM-1,空対艦ミサイル(射程50㎞)を基幹としてフル装備であった。空戦能力がどうかという点が問題であったと言われているが。攻撃能力は優れていた。
現在、退役した実機は、入間基地に1機(屋内だが写真も撮れない狭い隅に)
百里基地に1機(屋外)、三沢基地に操縦席だけ、を見た。
先日、横田基地を訪問した際に、米空軍司令部と航空自衛隊司令部の間に綺麗に整備された1機を発見した。
全長18m弱、スパン8m弱で如何にも速度、武装を重視した設計であり、当時の最新の姿を見せているが。野ざらしは良くない。
このような記念すべき機体は『自衛隊博物館』のような施設をつくり、日本防衛史の一端を担った重要な展示物として扱うべきではないか?と当日は雨降りの天候であったので、特に強く感じた。
反対側に置かれたF-86-Fアメリカンセイバー
F-1が開発、製造できたから、F-2(日本版F-16)が、そしてF-15、F-35と
日本の軍用機産業は高い技術力を維持できるのだ。
(この項以上)