17、アンリファルマン機は日本に何機存在したか
明治43年(1910年)12月19日、日本で初飛行したのはフランスから輸入したアンリファルマン機(徳川大尉操縦)とグラーデ単翼機(日野大尉操縦)の
2機であった。場所は代々木練兵場。
上の石版画は代々木錬兵場における何かの観閲式の様子で第一次大戦頃の様子ではないか? アンリファルマン機が地上の6機を含め17機も登場している。その他に飛行船ひとつも。
歩兵中隊が横列になり、観閲官の前を通過しつつあり、歩兵大隊が過ぎると
騎兵、砲兵と言う順であろう。
航空勢力、アンリファルマン機は地上に8機、空中に11機、計19機が勢ぞろいしている。
空中の前面を飛行している機体は実物を良く観察したもので、詳細も正確だ。
先頭の機体と実際の機体
アンリファルマン機諸元は、
全長12m 全幅10m 高さ3.5m 重量550kg 発動機空冷星型7気筒回転50馬力 生産 150機 (輸出75機) |
左側の飛行船を守る2機
右側の縦列編隊
地上に駐機する2個小隊
などだが、実際には全世界に輸出された75機のうちの5機しか日本に輸入されてない。その後国産化したと言うがこんなに沢山存在したとは思えないが。
ちなみに1914年(大正3年)10月31日-11月7日の、日本帝国と英国(印度兵)連合軍のドイツ青島基地攻撃では帝国陸軍はモ式二型4機、ニューポール1機、に350名の兵を付けて飛行隊を形成した。空中戦では1機しかなかったドイツ機を落とすことは出来ず。帝国海軍も2機を投入し、帝国日本軍全体では7機が投入され、日本帝国にとって、最初の航空戦が行われた。
帝国海軍は水上母艦「若宮」を投入したが、触雷し、航空機を地上に移し日本に帰った。
アンリファルマン機及び日本陸軍航空隊の基地は入間に開設され、そこで
各種の輸入機が実験、訓練された。現在の航空自衛隊入間基地には米国から返還された原形のアンリファルマン機が「修武台記念館」に展示されており、見学したが、そのオリジナリティは???であった。
(この項以上)