18、大和ミュージアムに落ち着いた零戦六三型機

私は3箇所でこの機体を観ている。
最初は1986年、京都「嵐山美術館」で感動的にお目に掛った。

image001
同館の図録より

そして1995年、和歌山県白浜の海岸に展示してあった。
今回、2015年「大和ミュージアム」にて三度目。

image002

発動機は外してあるこれは機体に過重が掛らぬと同時に発動機も見れると言う
良い展示だ。

image003

屋内展示でほっとしたが、嵐山から呉までどのような数奇な運命を歩んできたのであろう。「嵐山コレクション」は古武器から第二次世界大戦までの兵器、
まずこれだけのものはなかったし、私も二度訪れ、数時間を過ごし、現在の
「日本の武器兵器」の原点はここで発想された。

零戦六三型は昭和20年、特攻を意識して開発された機体だ。
榮三一型1130馬力の発動機、そして機体下部には250㎏爆弾が投下出来るように、懸吊架が最初から装備されていた。三菱で158機、中島はその倍として総計500機弱が製造されたが、実戦でどの程度、この爆弾は効果を上げたかは不明だ。

image004

image005
引き上げの様子、画像は嵐山のカタログより

この機体は昭和20年8月6日に琵琶湖の彦根沖に不時着水したものだ。
それから23年後に「嵐山」の図録にあるように引き上げられた。
淡水の中にあったので、程度は非常に良かったがリストアには相当なる費用が
掛ったはずだ。
そして嵐山美術館で陸軍四式戦「疾風」と並んで展示されていた。
不時着水した操縦士は頭の良い、先の見えていた人であっただろう。操縦技術も悪くない。日本に財産を残したからだ。自分も無駄に死ななかった。

しかし嵐山美術館はバブルがはじけると、収蔵品もはじけてしまった。
貴重なる数々の品は今、殆ど行き先が分からない。「九五式軽戦車」は英国に輸出されたと言われている。旋回機銃、投擲兵器なども数多くあった。

日本は連合軍の意向を真面目に聞き、全ての兵器を処分してしまった。
ほとんどが、港から1時間ほどの海中に投棄されたそうだ。
そういう意味でこの零戦六三型は貴重なものだ。

image006

大和ミュージアムの説明には幾つか、正確でないものがある。
この型の武装は翼内機銃左右に20㎜エリコン改と13㎜のラインメタルが
1挺ずつ。胴体に13㎜が1挺。計5と重武装だが、何となくバランスが悪い。
大和の説明は、13.2㎜(ホチキス対空機銃)としていたが、それは別物だ。

image007
13㎜機銃

引き上げられた弾薬匣

image008
カタログより

大和には様々な小物もあるが、無線機に関してはなぜか一部しかない。上はカタログのもの、下は大和の展示。

image009

image010

大和の他の展示物

image011

マスクなどは珍しい

image012

何回、どのように観ても見飽きることはない機体だ。永遠にこのように残して欲しい。(遊就館の五二型は一機から数機にしたレプリカ)
(この項以上)