19、大正時代導入期陸海軍機とその発動機

10年ほどまえに陸上自衛隊明野基地を訪問したとき、資料館で伊勢湾から
回収された航空機エンジンとタイヤなどを見た。

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程度は非常に良い。

日本は第一次大戦に連合国として参戦しても欧州戦線には出兵しなかった。
第一次大戦期の欧州戦線のひな型が日露戦争と言われ、地上では塹壕を掘り
これらで対峙する形式の戦闘が基盤だったが、大きな戦闘方式の変革に「空」の戦闘があげられる。1913年にライトブラザーズが航空機を開発して以来、これでもかという速度で、独、仏、英、米は軍用航空機が発達した。
(その過程や具体的な内容はご存知のことだから省く)

このエンジンはV型8気筒(90度)三菱が最初に開発生産した軍用機用でイスパノ200馬力、カムを使いプロペラの回転の間から7.7mmの胴体機銃を発射できる仕組みだった。
エンジンの仕様は内筒径120mm、ストローク130㎜、圧縮比4.7、減速歯車2分の3、
重量250㎏。

陸軍スパッド12型戦闘機(丙式1型戦闘機)、海軍のハンザ水上戦闘偵察機
などに使われたエンジンだ。生産時期は大正9年(1918)から15年(1925)間で、生産台数154台であった。(松岡 久光著「三菱航空エンジン物語」参照)

第一次大戦が終了し、日本は欧州での軍用航空使用実態を認識するに、自らも航空勢力の強化に努めた。

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米国にあるスパッド戦闘機

帝国陸軍は大正8年(1919)フランスが開発し、第一次世界大戦で使用したスパッド単座戦闘機(開発は1917年)を100余機輸入した。胴体機銃にビッカース7.7mm を備えた、スパン8.25mx全長6.25mx全高2.6mのコンパクトな機体であった。大戦後期に参戦した米軍もこれを使用した。

一方、帝国海軍は敗戦国、ドイツのハンザブランデンブルグW29という水上戦闘偵察機に目をつけ、中島飛行機、愛知製作所で大正9年(1918)から製造しはじめた。元はベンツのエンジンであったが、エンジンは三菱のイスパノに変更した。勿論、ドイツは一切の軍事産業は禁止されたので、似たような性能のこのエンジンにしたのだ。大正7年(1918)のことだ。

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パイロンが付いた単葉複座機だ

この機体は土浦の水上機基地(現陸上自衛隊武器学校)で陸に上がるシーンだが、水平尾翼は上に、垂直尾翼は下に付いた変わった水上機であった。
大正14年(1925)には制式化され300機が導入された。

従って、帝国陸海軍合計してイスパノエンジンを搭載した機体は400余機、
エンジンの三菱での生産が154基、足らない分は輸入したのであろう。

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陸軍戦闘機は複翼

伊勢湾から回収された機体には車輪が一緒なので、陸軍機であっただろう。

明野飛行学校資料館の片隅にこのように置いてあるエンジンにもさまざまな
ストリーがあるのだ。興味ある諸君の一層の研究、そして保存を願う。
(この項以上)