2、戦後の戦車

富士学校開発実験団では「兵器開発10年間」と言う昔、帝国陸軍技術本部にいた伊藤愼吉氏の話とほぼ同じ内容を聴いた。戦闘車両は日本が独立し、米軍の供与装備に頼らなく、兵器を自国生産すると決めた時から10年後にまず

① が制定され、②,③、④とほぼ重なる期間はあるが、10年ごとに新たな
要求が作成され開発、制定、生産がなされてきた。
朝鮮戦争が終結し、冷戦下、米国は欧州での対ソ連活動が課題であった。
また、1944年頃、帝国陸軍は戦前開発生産した日本の戦車では敵わないとの結論から一式、三式、五式などの米国型戦車を開発、生産した。その数量は数百両あり、本土決戦のため国内に配備されていたが、使われることなく、敗戦を迎えた。全てが破棄され、三式戦車1両が武器学校に展示されている。
だから三菱重工など民間企業には、朝鮮戦争の際、故障、破壊された米軍戦車の修理を行えるだけのノウハウが存在したと推定される。近代的戦車の開発は唐突でなく歴史の流れの中で発生した事象であり、その経過は以下の通りである。
供与時代、本土決戦のための戦車の戦車兵は失われることなく、戦後も多くの人たちが警察予備隊の門をたたいたと言われている。
現在、日本は戦車を近代戦の位置付順位を落とし、定数400両として、将来はなくなるだろうと言う意見もある。これはソ連崩壊後のロシアとの関係で北海道での戦闘想定が減少してためと推定される。しかい対テロ、またロシアの微妙な外交から日本の安産保障上は必ず上位に考えなければならない装備である。
一旦、切れると続いた歴史を取り戻るには、開発、整備、乗員、全てが10年間では済まなくなるので、後継は絶えず考えておくのが妥当であろう。

①61式戦車と60式装甲車

近代戦を想定し明らかに組として開発された装備であろう。生産数が戦車560両、装甲車428両であった。だが、技術は完全に日本独自のものにはならず砲など一部の部分は外国製を使用した。
現在、退役後のこれらの車両は全国の自衛隊駐屯地に展示されており目にする機会は多い。写真は富士学校の展示物である。
61式戦車は当時の日本国内の道路事情から鉄道貨車に搭載できるが条件であった。

全長 全幅 全高 全重量 最高速度 発動機 排気量 乗員 主砲
6.3m 3.0m 2.5m 35t  45km 570hp 3万㏄ 4  90mm

 

これと言って特徴はないが、おなじみの戦車で、全高は、その後の戦車より
高い。
砲は国産にするべく苦労したが、開発出来ず米国の砲をそのまま使用した。

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富士学校の展示

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武装としては90㎜砲以外に7.62㎜、12.7㎜機銃を装備した。

① のB 60式装甲車
自らの12.7㎜、7.62mm x2の武装を持ち、4名の乗員の他、6名の武装兵が搭乗できた、兵員輸送車である。

全長 全幅 全高 重量 発動機 速度 走行距離 乗員
4.9m 2.4m 1.7m 11.8t 220hp 45km 230km 10名

1955年から2007年まで使用された。

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② 74(ナナヨン)式戦車

 

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この74(ナナヨン)式と、90(キュウマル)式戦車に搭乗したことがある。74式に比較すると不整地の走行で90式の滑らかな走りに驚嘆した。しかし74式は荒っぽいがいかにも戦車らしい。
今回の74式は3度目の搭乗で、戦車長席にかなり長い時間載せていただいた。
戦車は乗り物の一種とは言え、乗り心地の良いものではない。砲を発射すると、下の画像のように炎が砲口より出る。戦車は発射するやいなや、即位置を移動する。その速度もとても早い。

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74式は900両近く製造されたが現在ではその三分の一くらいしか残ってない。新式に置き換えられているのだ。この戦車は始めて油気圧サスペンションを採用し、戦車の姿勢を左右、前後に傾けることができる。

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これは地形に合わせ戦車の射撃を正確に行うためである。

諸元

名称未設定

砲の照準はレーザー測遠儀、弾道コンピューターを使用する。夜間戦闘には赤外線暗視装置。進行方向に向かい砲の左に照準装置の箱がある。その他の兵器は7.62mm,12.7mm

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74式が古くなったので退役、効率化を図る、その施策に異存はない。しかし日米同盟では日本の米軍には戦車は装備されてない。また有事、災害出動の機能と、地政学的な条件を考えると、全国にある程度の数両を配備しておく必要があることは言うまでもない。

③ 90(キュウマル)式戦車

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(地にまぎれる感じ)

今更、語るところの少ない名戦車だが実戦の経験は他の自衛隊装備品と同じく
一度もない。兵器開発、今も昔も10年間と言われていたようにこの戦車も
1970年代後半から開発が行われ、1990年に制定された。車体は三菱重工、
主砲は日本製鋼所製だ。価格一両8億円.
世界三優秀戦車の一つだ。(他はエイブラムス、レオパルト)どこが優秀かは戦闘してみないと分からないが、実際に早い、行動が素早い、それに加え射撃統制装置と自動装填装置、また乗った感じも大変良い。富士火器演習では走りながら発射する、斜面で発射する、発射したら全速力で位置を変えるなどを近くにみた。確かに普通戦車と言う感じではない。

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諸元

全長 全幅 全高 全重量 最高速 発動機 排気量 乗員 主砲
9.8m 3.4m 2.3m 50t 70km 10気筒 21500cc 3名 120mm

 

国防方針が変更になり340両しか生産されてなく、北海道に主に展開していたが、先日九州でも観たので、国防力の西日本シフトの一環ではないか。
何度も様々なイベントで実弾を、空砲を(以前はなかったが今はある)、そして
戦場での発動機交還、戦車自体の回収、などの作業も見学した。実際の戦場では如何なるものになるか、それは不明だが訓練では実に危険で厄介な作業を手際よく短時間でこなしていた。以下はその作業である。(自分で撮影した画像なので上手に撮れてないが、我ながら迫力はあると思う)

A,発動機の交還
戦場で破損した戦車の発動機だけを変える作業

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B.牽引撤退
戦場において地雷などで破壊された戦車を曳引車が来て360度回転し、フックで曳き退却させる。

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C,搭乗体験
停車している時がから発動機はゴウゴウを大きな音で響く。一旦動き出すとその加速は早い。

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この搭乗以外にも
裏の山あり谷ありの訓練地を走った画像もあるのだが、見つからず。
90は74と異なり、凸凹の地面でも死ぬかと思うようなことはなかった。

開発に使用されて機材が展示されているが、雨さらしなので、下面を鉄骨で支えている。

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主砲は120㎜滑腔砲(独逸の技術)その砲弾

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④10(ひとまる)式戦車

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初めて見たのが数年前の朝霞の観閲式だった。試作車だったろう。
90式と見分けるのは転輪の数がひとつ少なく5個だ。しかし野原を駆け巡っている戦車の形、戦闘では敵味方ですら目視困難ではないか。
機動性とネットワークが目玉だ。何両かでプログラムされた行動が出来る。
これは他の戦車には出来ない。小型、軽量化されたので、都市部での作戦に
優位性があるなど。

全長 全幅 全高 重量 速度 発動 乗員
9.4m 3.2m 2.3m 44t 70km 1200ph 3名 120㎜

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2両の戦車がスラローム射撃を行うデモ富士総火演では披露する。

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高速で後ろに下がる

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