1 、野戦電話機

以前、毎日新聞に写真を借りに行ったことがある。戦前、毎日新聞は「東京日日」と言う名で、今とはまったく逆の報道をしていた。日中戦争中「百人切り」と言う記事を捏造し、2人の士官がそのために戦後、復員した故郷から支那に連行され、戦犯として処刑された。その他にも支那では5万人の日本軍将兵が、1945年8月15日後に死亡している。
山本 七平氏「私の中の日本軍」でもこの記事を書いた記者を卑怯者としている。あらゆる現実的な軍隊の組織、諸状況から彼らが前線でこのようなことをする暇が無かったことを述べ、記者が証言すれば国民政府も彼らを処刑することはなかったと。
話は反れたが、厖大な東京日日が日中戦争中の戦場で撮影した写真ファイルを半日調べていたが、「電話機」がでて来る写真は見なかった。電話機は仮に陸の日本軍展開が第二次大戦中7-8百万人として100人に1台としても数十万個必要だったはずだ。

上海海軍特別陸戦隊本部(日本租界)

映画「上海陸戦隊」中では上海海軍特別陸戦隊本部内の電話交換機板が出てくる。兵が前線からの増援要請の電話を繋ぐシーンだ。一方、戦艦「武蔵」には伝声管に替り艦内電話網をつけた。しかし、当時の日本の兵卒は電話機が使えなかったそうだ。それくらい日本の電話の普久率は低かった。(同じことは自動車運転にも言える。米軍将校は自らジープを運転したが日本軍には軍で訓練しない限り運転手は少なかった。)
本当に野戦で電話は頻繁に使われたのか。戦記ものはあてにならないと言うが、久保村正治著「第11軍通信隊」と言う本には無線と有線はセットになり有線中隊、無線小隊、機材分隊で、軍通信隊を組織し、どうやら戦闘部隊ではなく、独立して行動していたらしい。
兵站の一部として、機材は輸送隊に運ばせると言うシーンも出てきた。70mおきに柱を建て、それにリールに巻いた電線を張る。だからすでに占領地であったところが働き場であったようだ。では日本軍の野戦電話機はどのようなものであったか、以下その例である。
1、 陸軍九二式箱型電話機(1932年制定)
2、 海軍陸戦隊電話機
3、 特殊携帯電話機(大戦後期のものか?)
日本軍の電話機は乾電池を使う、電鍵が付いておりモールスをうてる機能があった。