2 、無線機

日本軍の無線機

日本の電子産業は少なくとも最近までは世界市場を独占していたと言っても過言ではない。いつ頃からか?トランジスタを使った小型ラジオ、そして家庭用テレビ受像機が一般化して、続いてビデオが出現した頃、半世紀前くらいから前、1960年初頭からだろう。現在、パソコン、液晶テレビ、スマホなど、後発国に押されてはいるが、その元になった技術は日本のものだった。
この背景は何であったのだろうか。他の産業では第二次世界大戦、必要な兵器や装具が陸海軍の工廠でまかないきれない、もしくは下請け的に協力会社として育成されたことになっている。光学製品では明確に、軍が会社を設立し、指導し、兵器を作らせた。戦後、それらの会社、大会社は2社で、あとは中小会社が20社ほどもあったが、それらが輸出用のカメラや双眼鏡を製造し、後にはコンピューターのプリヒラル商品や医療製品で世界市場を独占した。これが電子産業となると明確でない。何しろ、日本軍が使用していた兵器の弱い部分が通信機器だったからだ。パナソニックは「松下無線」として参入していた。ソニーの前身も海軍が無線機を作らせていたそうだが、産業全体としては、戦時中は性能の悪い、弱い製品であったとしか言われてない。また日本軍の無線機に関して総合的、全体像が理解できる資料もないのが不思議だ。

日本軍の無線機にはこの奇妙な「軍事秘密」と言うプレートが付いてないと価値は半減と言う人もいる。何でこのような商品的なものが「軍事秘密」だったのか、その帝国日本軍の心理は良く理解できない。

アメリカ映画「ウィンドトーカーズ」の中に日本軍三号無線機のアップが出る。実物だった。小道具屋が収集家から買ってきたものと後で聴いた。アップを出すために小道具として製作するのは今の日本でも難しい。

無線通信機も船舶用、航空機用そして地上用とあったが、ここでは地上用に陸海軍で使用されていた『九四式』(1934)を取り上げてみよう。とにかくこの制定名しかないのだ。
日中戦争が始まる3年前、太平洋戦争が始まる7年も前に制定された形式だ。無線に詳しい人たちはおもちゃのような性能のものであり、とても欧米のものとは比較にならぬと言う。同じ九四式でも戦争が終わるまで11年間も使用されたのだから様々な改良があったと思われる。私の手元にあるのはほとんどが帝国陸軍のものだが、海軍陸戦隊も同じようなものを使用していたようだ。アメリカジョージア州フォートベニング基地博物館に海軍陸戦隊の無線機材が展示されていたが、その中にはアメリカ軍のハンディトーキーと同じもの、コピー品があった。有名な写真、木箱に入った三号送受信機と予備のマツダの真空管の写真はここで撮られた。
無線機材は系統的に収集したわけでないので、同じものがあったり、受信機はあるが、送信機がなかったりで、統一されてないことをまずお断りしておく。