3-2、「特九三」双眼鏡
「九三式」双眼鏡は満州事件から日中戦争にかけて大陸での戦闘が予測されていた昭和五年ころから開発され昭和八年(1933)に制定された1・5倍の下士官用官給品の光学兵器であり、この開発に帝国陸軍技術本部と日本光学が協力して行ったことは周知のことである。プリズムを使わず、外装にまでいかに予算を掛けずに製造するか腐心したとの話を多く聞いた。特に収容嚢を皮革でなく、布に漆系の塗料で固め、頑丈で安くまた多量に生産したのであろう当時示された
予算以下に作り、日本光学の地位は不動になった。(帝国海軍からも大型光学
機材発注が軍縮で途絶えていたので経営的にはこのような兵器にも頑張ったのだろうと「日本光学社史」にはある。
米国のガンショーなどではこの双眼鏡は良く見るが戦場から持ち帰られたのか、状態が悪い。レンズに水の入ったあとのあるものも見る。さすが収容嚢は持ちこたえたと言えるが。
この実物は「特九三」とあり内部には昭和十七年の刻印。
通常のものと比較してみると、「70」と言う数字が倍率の下にくっきりとある。
収用嚢の色が異なる。観るほとんどが薄いグリーンであるが、これは濃いカーキ
色。内部のクッションもちょっと豪華である。双眼鏡自体、外観は良い状態だがレンズにはカビがあり、縦には輪転を回して動くが、左右に開くには固い。
軽い油をすこし塗布すればこれも問題はないと考えられるが、素人が光学
機器に油をくれるのは厳禁なのでそのままにしてある。
(この項以上)