6-1 、落下傘(50瓩用)藤倉製

厚い帆布の四角い包だ。四隅には太いロープの輪。ここに物資を取り付ける。
兵器、弾薬、食料などを空挺隊と一緒に投下するためのものだった。

(記念品として持ち返ったアメリカ兵の名前が記してある。中の絹で花嫁衣装を作ると、人気があった。)
50㎏では、軽機関銃と弾薬は落とせた。なかなか開けてない包はない。一度
開けると収納するのは難しい。落下傘自体は絹製で高価なものだった。
包は幅27㎝x、奥行き22㎝x、高さ18㎝、重さは2.7kg。
藤倉航空機株式会社製造、5098、昭和18年6月30日の布板が張られている。
開傘の仕組みは十文字にゴム紐でくくってあり、その中心を被う釦付き布が
長い絹の紐が伸びきったところで開く。

(藤倉の銘板 陸軍用か海軍用か不明だが、銘板の書き方からは海軍用だろう)

藤倉は戦後も同じようなものを製造しており、昭和37年に藤沢飛行場で投下したのを目撃した。たまたまやかんを持って水くみに行かされていて歩いていたすぐ近くに落ちた。丸めて草むらに突こんでおいたら、係の人たちがしばらくして来て探したが見つからなかった。夕方撤収の時に拾い、合宿所に持ち帰ったが上級生が持って帰った。昨年夏に清水にその上級生に逢いにあれを返せと言ったが・・
藤倉は藤倉ゴムの系列で、昭和14年に創立され、15年頃から落下傘の大量生産に入った。戦後は藤倉航装株式会社として落下傘をはじめ各種救命装備品を製造して、現在に至る会社である。


(裏側、固いボードが入っている)

以上