17 、火縄銃カラクリの様々
日本の火縄銃は欧州の鉄砲がそのまま持ち込こまれたのではない証拠のひとつがカラクリ(ロック)だ。
一つの大きな特徴は引き金の位置が手前にあると言えよう。また形式が様々で
種類が多い、軽く引く工夫が多いことが上げられる。
外観上、外カラクリ(外に松葉バネがある)、と内カラクリ(内部のゼンマイがある)の2種類だが、両方ともバネは一部を除き、真鍮製であり、現在、製作するのはなかなか難しい。この2種類が各3種類、計6種類が主だが、さらに数多くに分類される。以下はその幾つかの例である。比率では約、外が6、内が4と分けられる。また地板(ロックが付いている板、真鍮製が多いが鉄もある)の形状と長さが鉄砲の流派、地方、などにより多様である。日本の火縄銃の地板は長い。
1、 平カラクリ
軍用の銃、猟用の銃、一般的な鉄砲に使われた一番簡単なカラクリと言われている。ほとんどが真鍮製である。梃子の原理を使った欧米にはない単純な仕組みだ。比率では全体の約半分がこの種のカラクリと言って良い。従って一割ほどが外カラクリだが平カラクリでないものだ。(後述)カラクリ自体は縦と横、両方で深く掘り込まれた銃床に設置される。縦には天井鋲をいう棒が火挟みの軸の真ん中に入る。横には前から松葉バネを押さえる鋲、内部に長いに梃子状のバーがあり、先端は外に出て、カラクリの端を引っ掛ける。真ん中あたりで地板裏に固定され、後端は木部に固定された引き金に接している。このバー(シア)の長さで銃床の長さが決まり、その長短も様々である。
この銃は標準的で、銃把を握り、指の第二関節で引き金が引ける。部品が少な単純で壊れにくいが、調整が難しい。引き金に掛る力は梃子の原理で、解除の半分で済むはずだ。
先端の押さえている板が、引き金の釣の役目のバネである。この例では後端に紙を巻いて調整してある。製作費用も高価なものにはならない。この鉄砲の場合は用心鉄があり、その前と後は地板を止める2本の鋲で止めている。鋲はテーパーが掛っており、緩むことはない。離脱は左側から右に打ちだす。地板は一つ余分にある穴から押し出す。地板はこじ開けるものではない。カラクリは調子が良い限り、頻繁に開ける必要はない
この写真の例は飾りが多く、銃身には象嵌もあり豪華な造りであり、バネの
上にも飾りがある。
2、 二重ゼンマイカラクリ
機構上、このように呼んでいるだけで、各々流派により名前があった。
高級なカラクリであろう、内部に二つの真鍮製の巻きバネがあり、ひとつは火挟みを落とす、もうひとつは引き金の吊りの強さを調整する。
長いカラクリになり、鉄砲を構えると銃も引き金も伸びた位置になる。
命中率にこだわっていたからだ。この鉄砲は「藤岡流」と言う流派で、伊賀の出身の砲術師、藤岡が岡山藩に召しかかえられて、備前の鉄砲に多い。備前の鉄砲のカラクリは真鍮製ではなく鉄製が一般的だが。銃把を握り、指をいっぱいに伸ばして引き金に指先だけを掛ける。軽く触れるだけでロックは落ちる。
真鍮でこれだけの機構を作るのは電動工具など道具のない時代は時間の
掛るものだっただろう。
3 短筒のカラクリの例
全長52cm、口径9・5㎜の射的用火縄銃だ。重量は1㎏で他の実戦用
短筒や馬上筒に比較するとはるかに軽く、扱い易いはずだ。
この種の短筒のカラクリは、内カラクリの巻きバネを使うものと、外カラクリの松葉バネのもの、2種類になるが、前者が圧倒的に多い。
把握部は角度が異なるが大体は欧米のピストル型ではなく、浅く直線型だ。
また全体のバランスから短いところにカラクリを入れるので細工は万全を期している。一般的に2本の地板を止める鋲は1本で、地板も短い。この例は平カラクリで巻きバネの上に被いが被さっている。部品は非常に少なく故障もない。
台への堀込みもきちんとした作業だ。
疑問に思うのは火縄銃の定石として引き金の位置が先にある。
手のひらで握り、人差指で引き金を引くが、この位置では第二関節で
引くことは難しい。銃床を頬に当てる必要はないので、引き金の位置を前に
置く設計は考えられなかったのか?日本の火縄銃の謎のひとつである。
あくまでも梃子の論理に忠実に製作したのだろうと、当時の日本人ははるかに
強靭な腕をもっていたのだろう。
4 紀州カラクリの謎
今まで私が観察して来た、西洋の火縄銃、西洋人がアジアで製作した火縄銃、
アジア人の火縄銃、イスラム人の火縄銃、そして日本の火縄銃、何が異なるかと言う最大のポイントは『引き金の位置』だと思う。
日本の火縄銃は薩摩筒、藤岡流、尾前筒などの一部を除くと引き金の位置が手前にあり頬付けの特徴を強く出している。と言うことはカラクリが長い。長いシアを使い、引き金の動きを解除に伝える。シアは大体が梃子の原理を活用しているから引き金のプル(引き)が軽くて済む。その他にも外バネ系と、内バネ系に大別できが、紀州筒は外バネだが内バネ構造も備えている。天井鋲がない。
紀州に鉄砲は比較的に早かったと推定されている。織田 信長、一向宗など火縄銃を早くから使用し始めた連中は、紀州経由で銃の製作法や使用法を得たと考えられる。
この紀州筒は年少者用であろう。短く、銃床も小さく、口径もあまり大きくないが美しい、バランスの良い銃だ。観察すると紀州の金具は断面が角なのだ。
これは他の地方や流派では見られない。大体が○かだ円だ。
鋲などの金具も角だ。なぜ紀州は角のデザインを採用したかは謎だ。
火ばさみは内部の鉄板に接続されている。火ばさみを上げると、その金具が同じ動作で動く。その作りは独特だ。真鍮の金具の真ん中に鉄の押さえがある。この押さえは回すことで簡単なねじのように緩みを締めることが出来る。簡単であり、実用的な方式である。
その他紀州筒は庵が落としてある。全体に細いなどなどまだ沢山の特徴がある。のだ。
また同じような角をデザインした鉄砲は伊勢、尾張にも見られる。
昔、雑賀が使用していたのもこのような鉄砲であったことは十分にかんがえられる。
(この項以上)