火縄銃



 19、日本の火縄銃、その「引き金」の位置

―日本の火縄銃の引き金は銃床の中心にある―

 

錯覚があった。日本の火縄銃の銃床やカラクリの多様性から引き金の位置も手前にあるのでは、また、先にあるのでと、一定してないように見えた。射撃の姿勢をとり、標的に照準を合わせた姿勢がその銃の正しい立ち位置だ。右手は銃把を握り、人差し指の第一関節が引き金に掛る。日本の火縄銃の場合、銃を支える左手の強さと言うのは重要な要素だ。

日本の火縄銃はカラクリの柄が長い、梃子の原理を使っているから、引き金が軽い。

右手で、火蓋を開けて、銃把を頬に当て、握り、指を伸ばし、狙い、引き金を引くまでの動作は優雅に慎重に行わないと暴発する恐れがある。幾つかの火縄銃、下記の図の寸法を計測してみた。一般的な火縄銃ではAの長さはBの倍になる。銃把長の定義はカラクリの地板が挿入されているから、胴金の銃口寄りから、銃尾までの直線。

図1

 image001

 

Aは銃尾から胴金の前まで、Bは銃尾から引き金の軸までの長さだ。A=2Bである。

多少の例外もあるが、全長120-130㎝の銃に置いてはほとんど例外なく、この原則が当てはまった。大きく異なるのは私が長く競技に使用して来た短筒で把握部が長い。

表1

銃の特徴 全長 Aの長さ Bの長さ 条件
①  藤岡流 132㎝ 32.5 16.0
②  日野筒 129㎝ 28.0 14.0
③  堺筒 133㎝ 30.0 15.0
④  堺筒2 132㎝ 30.5 15.5
⑤  国友筒 130㎝ 30.0 15.0
⑥  堺 野筒 113㎝ 28.5 16.0 * -1.5㎝
⑦  稲富流 126㎝ 35.0 17.5
⑧  田付流 108㎝ 26.5 13.5
⑨  紀州筒 88㎝ 27.5 15.5 * -1.8㎝
⑩  十匁筒 114㎝ 29.0 14.5
⑪  馬上筒 59㎝ 22.0 11.5
⑫  短筒 50㎝ 18.0 11.5 * +4.5㎝
⑬  堺筒 飾り 133㎝ 30.0 15.0
⑭  国友 井伊 132㎝ 30.0 15.0
⑮  薩摩筒 六 117㎝ 30.0 17.0 * +2㎝
⑯  薩摩筒 一 119㎝ 32.0 17.0 * +1㎝
⑰  武衛流 十 101㎝ 30.0 15.0
⑱  短筒 仙台 51㎝ 19.0 10.0
⑲  田付流 ⑭ 108㎝ 26.5 13.3
⑳  仙台 34.0 16.7
21 堺 赤 135.0㎝ 32.0 16.0
22 荻野十匁 109.1cm 39.0 17.0 *-5㎝
23 紀州 130㎝ 34.0 17.0
24 短筒井上 48.5㎝ 18.5 9.0
25 馬上筒 83.5㎝ 30.5 15.5

(続く)

以下の写真を参考にすると理解できる。⑫と22だけが法則に当たってない。

8%の確率であり、通常の火縄銃(「一般的火縄銃」全長130㎝、銃身長100cm、2-3匁と定義)に関しては100%、引き金は銃床、把握部の真ん中に位置している。

写真①-25

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①藤岡流

 

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②日野

 

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③堺

 

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④堺

 

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⑤国友

 

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⑥古い形式の銃

 

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⑦稲富流

 

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⑧田付流

 

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⑨紀州年少者用

 

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⑩十匁筒国友

 

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⑪馬上筒

 

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⑫短筒*

 

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⑬堺

 

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⑭井伊家

 

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⑮薩摩筒六匁

 

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⑯薩摩筒一匁

 

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⑰武衛流十匁(胴金なし)

 

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⑱仙台筒短筒

 

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⑲田付流鉄カラクリ

 

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⑳仙台筒

 

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21 堺135cmと長い鉄砲

 

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22荻野流十匁

 

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23紀州筒

 

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24井上流短筒

 

 

25 (写真追加予定)

 

この調査はまだ進行のつもりで図も良いものにする。胴金銃口側を計測の端をした理由、胴金は銃の種類により、幅が異なるからだ。

唯一、把握部分が長いのは下の短筒だけだった。短いのは荻野流十匁筒。

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薩摩筒の引き金は通常の鉄砲より1-2㎝先にあった。欧州の頬当て火縄銃、

もしくはアジアで製造されたと言われているものは18で書いたようにロックが

短いので引き金の位置は前方にある。

日本の火縄銃に関しては表にあるように、引き金から後ろ、把握部の長さは五寸が

標準であったようだ。15㎝が多い。

協力:陸上自衛隊武器学校小火器館