新発見 5:小銃用負い帯
小銃用の皮革製負い革に替わり「布製負い帯」はどの程度活用されてのであろうか。布製のものは多分戦争後半からと推定するが、皮革素材の不足から教練用小銃には早くから布製の負い帯が多く使用されたようで、今まで幾つかの実物を目にした。軍用には皮革素材の不足以外に、1930年代後半に中国戦線が南に移動したことにより、従来の皮革装具の見直しがなされたと言われている。余談ながら完全加工の皮革は欧州的な気候の元では永遠に近く保つとされているが、南方の湿度・温度のもとではその耐久性に問題があり、特に小銃の負い革は 長時間、重さ3キロ以上の小銃を支え雨の中など行軍したらひとたまりもなく切れてしまったであろうことは想像出来る。この解決の為にキャン バス・ゴム製品が開発されたのであろうが、ここで紹介するのは現在目にする単なる布製の負い帯である。それらの例は、
- 6.5ミリ小銃用と思われるキャンバス製のもの。びじょうは帯に固定で、びじょうに帯を通し折り返す方式。びじょうは従来の爪のあるものではなく、「日」型で「挟み」で長さを調整する。これらは同様の教練用のものに比較すると布の幅・厚さ・密度及び金具の太さが明らかに頑丈に作られており、軍用であったことを証明している。布の長さが1メーターで、折り曲げた部分を引くと最大長が約90センチ。これは三八式歩兵銃を背中に斜めに背負う長さである。幅は30ミリ位で布の厚みも3ミリ位、びじょうの太さ3ミリで重量は6-70グラム。つづみボタンの穴は革で補強されている。革製のびじょう革(キーパー)が1個あり、折り返した部分を押さえる。「昭(年号)」のスタンプがある。
- 太い針金の鈎状のフックを使うもの。片端に小銃の負い革止め環に引っかける太い針金状の金具が縫いつけられており、長さは太いびじょ うで調整出来るもの。びじょうは「日」型。キャンバス素材はかなり厚い。三八式系も九九式も小銃重量はあまり変わらないが、皮革製の負い革を見る限りこれは7.7ミリ小銃用と考えられる。最大長1メーター。びじょうは太く5ミリで黒塗り。針金は太さ3ミリ、長さ40ミリ。重量135グ ラムで頑丈。「昭和(年号)」のスタンプがある。厚い布製のキーパーが1個入っている。一旦装着するとなかなか外れない良い設計である。
- 両端に茄子環が縫いつけられており、長さはびじょうで調整出来る。布の厚さと密度はなく、戦争後期の作と推定される。布の幅30ミリ厚さ2ミリ。空挺用の一〇〇式短機関銃の負い帯を言われている。(歩兵博物館で実物を観察した。)布の長さ115センチ、金具の長さ70ミリで 二重に縫い込まれている。びじょうの形で一般の荷物用負い帯と区別される。びじょうは太さ4.8ミリで黒塗り。重量は160グラム。軽機関銃の負い革と同じ方式なので、これも短機関銃用のものであったという理由になろう。布製キーパーが2個入っている。
- 教練銃用の布製。軍用と同じくびじょうが端に固定されている。つづみボタンの部分はスエード・人工革で補強されている。長さはやや短くて最長95センチくらい、布の幅も26-28ミリと狭く、厚さ1.5ミリと薄く、荒い素材でびじょうの太さは2.5ミリと細い。
- この他に小銃用ではないが茄子環が両端にあり、普通の木綿布を折り曲げて厚くして糸縫い合わせした各種収納嚢用の「カーゴスリング」 が存在している。これらは軽機関銃用の弾薬嚢、弾倉嚢に使用されたようだ。これらは長さが130センチで真ん中にくるびじょうがアルミなど軽い素材で大きめに出来ている。重量は150グラムくらい。
- 戦争後期製作の九九式小銃には銃床に負い革止めの環がなく、木部に穴が空けられただけのものを見る。これらにはどこででも手に入る、直径6‐7ミリの綿、麻のロープ状の紐が負い紐として利用された。大体は長さ1メーターで一端を輪とし、90センチの長さになり、調整は銃床の穴から出る部分の結びでする。試してみると、負い革・負い紐は平たいものでないと銃を肩下げした際に身体にくい込んで楽ではない。眼鏡、照準眼鏡などの収容嚢の負い帯を小銃用と間違えて装着している人もいるが、それらは素材は厚いが幅が狭い。
写真を見る限り小銃の殆どは皮革製の負い革を装着している。時代的には昭和13年頃から皮革製のものと同じ仕様・方式のキャンバス・ゴム素材のものが出現し、それから推定するに昭和18年半ば頃から上記に挙げたような単なる布製のものが出てきたと思われる。 負い革は射撃の際に左腕に搦め小銃を3点で支えることにも使用出来る。しかし日本軍ではこの方式は採用してなかったようで、捕虜になった兵士に据銃させたアメリカの報告では日本兵の姿勢は「負い革は使用しないようだが、これは時間を省くので実戦的。長い間良く訓練されていたようだ。」というコメントが付いていた。