新発見 6:四四式さく杖

日本の小銃には銃腔内を清掃するためのさく杖は必須のものであった。さく杖は通常銃身の下部の穴に銃身とほぼ同じ長さのものが収納され、それを前方に引っぱり出して清掃に使うというのが一般的であった。例外は、銃身の下部に筒状弾倉が付いた村田二十二年式小銃がはじめてで、短いものが1本銃床に収納され、何挺分を接いで交代に使用した。
四四式騎兵銃も銃身前部の下に銃剣が折り畳まれるので、さく杖をここに収納出来ず、銃床に短いものが2本収納されており、これらを接いで使用する。騎兵銃で銃身が短い(48センチ)のでこの2本を接いだもので足りる。さてこの接続式のさく杖であるが、2種類のものが見られ、3期間になっている四四式製造の前期と中・後期のそれぞれのものであろうと推察する。前期は削り出しで2段になったもので通常着色してあるのは見ない。長さは205ミリ、太さ5ミリ、太い部分(ここにもう一本のネジを差し込み接続する)は長さ40ミリ、太さ3.6ミリである。後期のものは長さは同じく205ミリ全体に太く6ミリとほぼ同じ直径で着色してある。この後期のさく杖は前・中期の小銃の銃床の収納の穴には入らない。重量は初期が25グラム、後期が37グラム。
しかし殆どの四四式騎兵銃にはさく杖が欠けておりその実物はどのようなものであったか、しばらく分からなかった。 この前期の二段になったさく杖の長いものが、6.5ミリ小銃の分隊用の清掃用具入れに見られるが、実はこの短いものを数多く存在していた のだ。
なぜこのさく杖が多く存在したかは、このさく杖は実は十一年式軽機関銃の清掃用の属品のさく杖とまったく同じもので共通していたからだ。 軽機関銃も銃身が48.3センチで殆ど騎兵銃と同じであったからだ。軽機の属品箱、初期のものは鉄製の箱は実にこのさく杖がきっちり入る横幅205ミリのものでこの長さは後期の属品差しにあるさく杖ともほぼ同じ長さである。しかし後期、昭和12年以降の軽機のさく杖と、四四式騎兵銃のさく杖は長さはほぼ同じであるが別な形式となった。後期十一年式軽機のさく杖は長さ200ミリ、太さ6ミリ、重量40グラムである。九六式以降は長さ155ミリと短くなりこれを3本接続して使うようになった。(軽機の属品にはもう1本ガス掻き用のものがあり、計4本収納されている)

たまにアメリカ人の自作の四四式騎兵銃用のさく杖が入っていることがある。一般のさく杖のように頭を作り、そこに長方形の穴を縢ってあるが、素材がいけない。日本のこの種のものに使われている鉄は長い時間が経つと、どうしても欧米のそれと輝き、錆の様子がどうしても異なる。実物の長いさく杖を分断して作られたら本当にこんなものも存在したのか迷ってしまうところだ。
日本軍小銃のさく杖でもう一つの例外は九九式小銃の中期型(昭和18年秋頃からの生産)で、使用できない頭だけのものが入っており、昭和19年にはそれすらも省かれてしまう。