新発見7:二十六式ホルスター

二十六年式拳銃(9ミリ口径)はなかなか興味深い拳銃である。明治26年(1893)に日本初の近代的軍用拳銃として制定され大正14年 (1925)まで主として東京砲兵工廠小石川製造所で、総数59200挺が生産された。
現在、この拳銃はアメリカには比較的数多く存在し、近代拳銃の範疇に入れず譲渡書類無しでやり取りすることもある。値段も安い。しかし良 く見るとこの拳銃はなかなか良く出来ており、当時の他国の軍用輪胴式拳銃に比較すると、表面・部品一つ一つの仕上げの良さは元より、ダブルアクションしかない頑丈・簡単な機構、輪胴の回転を確実にする為の薄いリムの薬夾などユニークである。但し現在これを実用にする観点からみるとそれは時代遅れなものであることは否定出来ない。
アメリカに存在するこの拳銃の収容嚢(ホルスター)は殆どが赤茶の厚い牛革製の比較的新しい(昭和15年頃の刻印が多い)製造が多い。これによく似たもので、革が痛んだ、弾薬入れのポケットに弾丸を一発づつ入れるループがない、負い革が細く薄く長い、黒く着色してある、さらに蓋の内部に楕円のスタンプがある(読めないがヨーロッパ調の)ものなどが存在し、これは二十六年式の元になったフランスの1873年及び1892年型拳銃用ホルスターである、と言われている。見たところ外観は殆ど同じである。なぜ日本は、二十六年式拳銃に当時のフランスの拳銃とまったく同じものを採用してのか大いに興味のあるところである。言われているように拳銃自体はかなりオリジナリティがあるが、ホルスターはフランスのものをそのまま採用したのだろう。
最近以下の文書を調べる機会があり、面白い事実を発見し、この二十六年式拳銃のホルスターと同じ形状・寸法のフランス拳銃ホルスターの謎を幾らかでも解明出来るのではないかという一推察に達したので、それを発表したい。
この興味深い事実が出ていた資料は、陸軍省の「各国軍軍器供給に関する綴・大正3年(1914)ー同11年(1922)」でつまり、第一次大戦期とその後のロシア革命後の混乱期に日本が外国に供給した兵器種類数量の情報である。「日本の軍用銃と装具」に外国に出された三十年式・三八式などの小銃に関して述べたが、この書類を見る限り総計は基本的には当該本と同じ内容の数字になった。しかし細かく見ると、大正8 年(1919)にシベリアに出兵した、フランスのジャナン将軍の派遣軍に25000挺の三八式歩兵銃・騎兵銃・銃剣が230万発の実包と共に供給された際、(フランスが援助していたチェコ軍用には他に数多くの兵器が供給された)この中にシベリア仏国派遣軍用として1000挺の二十六年 式拳銃が供給されていた事実があったのだ。同年7月15日にウラジオに送られた注文の一部の三八式小銃11000挺などの兵器の書類には、1000挺の拳銃と他付属品以下が含まれたいた。

名称
個数
単価
二十六年式拳銃 1000挺 43.00円
同 拳銃嚢 500個 5.30円
帯革(ママ) 1000本 0.78円
携帯革(ママ) 1000本 1.45円
縣紐 1000本 0.29円
朔杖 1000個 0.18円
実包 200000発(一挺あたり200発)

 

以上ジャナン将軍注文価格とし、代金は在日仏国大使館に請求、仏国政府が支払っている。

このリストで分かるとおり、拳銃とその附属品を1000注文しているのに、ホルスターのみは500しかないのである。残りの500はどうしたのであ ろうか。軍用で使用するにホルスターなし、ということは考えられぬ。500個はフランス本国かシベリアで製作され、それらが現在アメリカで時たま見られる「二十六年式拳銃の元になったフランスホルスター」の一部ではないか。これが私が行き着いた結論である。
私は当時のシベリア派遣フランス軍の日本への兵器供給依頼の背景を考えると、500個のホルスターはシベリアで製造されたものではないかと推定する。またその理由は、価格表でも分かる通りホルスターは安くなかったからであろう。またこれらの日本製の兵器はフランス軍のみならず、フランスが援助していたチェコ軍によって使用されていた可能性も高い。
何よりも本体の二十六年式拳銃は、同じ頃の三八式小銃が1挺49円のところ43円もしているのだから、大変高価な拳銃であった。しかし南部小型拳銃はは当時200円くらいしていたはずだが、現在の価格差をみると、二十六式拳銃は今不当に安いものかもしれない。
バンザイシュートアウト(アラバマ)で二十六年式拳銃の競技を実施したが、適合する実包の手当に苦労した。ミッドウエイ社の専用実包は.38口径弾丸を使っての手製のものよりはるかに命中率が高かった。この9ミリ弾丸は.38口径弾丸よりやや大きい。ケースも特別なもので他国の 実包は合わない。

シベリア出兵は大正6年(1917)11月、ロシア・ボルシュビキ政権の成立と共に、元のロシア側(白系)とシベリアに残された10万人のチェコ 軍を援助する為に日本以外にも英・米・仏の各国が派兵し、ハルピンの元オムスク政府にも兵器をはじめ様々な軍需品が供給された。ソ連の確立と、1920年のチェコ軍の脱出で日本の出兵も幕を閉じた。 この際にチェコ軍・フランス軍が持ち帰った日本製兵器及び付属品はどうなったのであろうか。小銃には銃口蓋、負い革、清掃用のキットなど細々したものが沢山附属していた。