新発見 8:義烈隊用の手榴弾収容嚢

義烈手榴弾収容嚢:4個の九七式手榴弾を入れ、弾帯の下の装着した。
20年前、とあるガンショーで「沖縄の飛行場で拾った」と言う帆布製手榴弾収容嚢を手に入れた。4個の収納袋が横に並んだ形で、内部に2個の錆びの浮き出た九七式手榴弾(内部の火薬と信管ヒューズは抜いてある)が残されていた。しかしこの収容嚢はどう見ても、一般の日本の装具と異なる。まず材料の質と色が、他の多くの帆布製装具と異なる。ボタンは黒染め固定でこれも布製弾薬帯のものと異なる。但し背面の革帯通しの紐は他の多くのものに使われているものと同じで、全体の縫製も日本のものらしい。長い間私の疑問の品であった。もしかしたら中国か朝鮮で残された日本の手榴弾を使うために作られたものか。しかし、最近「義烈隊」の写真をもう一度眺めているうちに、二重に巻き付けた弾薬帯の下にのぞいているものは何だろうと、何度も眼鏡で見て、ようやく納得がいった。
この手榴弾入れはなぜ4本の25センチと長い革帯通しが付いているのか、革帯に通すとずっと下に下がってしまう。この長い4本の紐は収容嚢を一番下に装着してさらにその上に弾帯などを装着するためだった。
これは正真正銘の日本のもの、しかも義烈隊の装具の一部でなかったかと確信するに至った。
まず素材は日本の何かに使われたものではないか見ているうちに、同じ質、色のものを物資投下用の落下傘収容嚢に発見した。縫い糸も同じものであった。金属のボタン、革帯通しの紐もこの関係の装具に使用されていたものと推察すると、全て合う。
従ってこのものは「空挺隊」が作らせたものである可能性がおおいに高い。 勿論、寸法的には横28センチ、縦12センチ、奥行きが6センチで、一つ一つの収容袋は九七式手榴弾を信管を上にして入れるにぴったりの大きさになっている。 2個しか残されてなかったが、各袋の内側から洩れてきている赤錆びからそれまで4個が収容されていたのも確かである。また血痕は見れないが泥が付着している。
義烈隊の隊員は一人一人の兵士が出来る限りの個人用兵器を携帯し、一〇〇式短機関銃、その8ミリ弾を入れたであろう弾帯、同じ実包を使う九四式拳銃、銃剣、短剣などなどと航空機破壊用の爆薬を身に付けた。身体中隙間の無いくらい何十キロにもなる装具、兵器、弾薬、爆薬を身に付けた。この手榴弾収容嚢はこの目的の為の特注のもので、落下傘やその他空挺用の装具を製作したところか、現場で手には入る材料を使い部隊 の補給者が製作したものであろう。
20年間これを捨てなくて良かった。
しかしなぜあの時にこれを持ってきた人にもう少し詳しく拾った際の状況を聞いておかなかったかと悔やまれる。 記録写真で見る限り、義烈隊は隊員が戦闘出来る状態で胴体着陸出来たのは一機のみであったと思う。夜間、照明の無い、しかも対空砲火 のあるところに大型機で胴体着陸を実行する。成功の確立はやはり一〇分の一以下であったろう。大変な作戦であった。