3-5、地上用携帯双眼鏡

最近、保存状態の良いものをみなくなった。戦場を経て、その後の経年でレンズ曇りやカビ
のせいだ。
帝国日本軍の双眼鏡の制定されたものは2種類ある。八九式と九三式だ。

① 八九式双眼鏡
分隊、小隊、中隊の備品として装備されていた。将校の装備品(自分で購入する)としても使用されていた。なお将校の双眼鏡には輸入品もみられる。
八九式はプリズムと明るいレンズを使い、手ごろや野戦用双眼鏡だった。

この現物は将校用が持っていたものだ。R.KUROSAWAとローマ字で名が刻まれている。6倍x10°幅も操作でき、レジャー用としても使い易く、戦後、八九式と同じような商品が各社で製作販売され、進駐軍や朝鮮戦争で日本を訪れた米兵がこれらを土産として購入した。だが戦場で捕られたものは収容嚢が異なる。厚い帆布に漆系塗料仕上げだ。どの社のものも性能は同じだが、これは榎本光学性JESねじ、6万台の製造番号なので、多量に作られたようだ。
表面は皮革のちじみ仕上げだが、痛みがあるものも多い。皮革の帯は健全だ。
レンズは明るく、レンズ各々で焦点を合わすことができる。

 

② 将校輸入双眼鏡の例
私の伯父、須川 濟帝国陸軍航空隊九七式爆撃機小隊長のものだ。ドイツ製ツアィスだが、
勿論、戦場で実用に使ったとは思えない。良い状態で中国から送られてきた将校行李に入っていた。

 

③ 九三式双眼鏡
日中戦争が始まると、分隊にも双眼鏡が必要だとの現場の要請で大宮工廠と日本光学が
苦労して開発した形式だ。4倍x10°の性能で、できるだけ廉価に製造し、また実用を考え小型にするのを目的に開発された。分隊長である下士官用だった。
目幅は左右の筒が上下に稼働する(上60-下70)が、つまり1cm広がる。レンズは個々には稼働しない。
真ん中の転輪で焦点を合わせる。この双眼鏡は比較的に多く残存している。
価格を下げ、全分隊長に持たせるだけの数量を作るには双眼鏡の外装に工夫したらしい。
皮紐、収容嚢の皮帯などには手を抜いてない。4倍の倍率で十分であったかは疑問だが、各分隊長が双眼鏡を装備したという実績は評価できよう。

全製品が日本光学社製