25、似ている「紀州筒」と「平戸筒」なぜか?
概説:九州最西の松浦藩平戸の鉄砲と、遠く離れた紀州の鉄砲の形状が似ているのだ。地理的にも、また政治的にも、流派もまったく関係のない両地方の鉄砲が類似しているのは偶然かもしれない。また背後に我々がまだ知らない史実があった、のかもしれない。共通点と言えば「水軍」だ。
松浦藩も文禄・慶長の役、それ以前も以後も地理的には水軍が活躍した。
三つ星の紋で有名だ。
紀州にも村上水軍が入り組んだ湾の奥を行動の中心にしていた。また紀州には鉄砲が種子島から直接入り、根来、雑賀、山のなかには多くの鉄砲傭兵が戦国時代に全国の大名や一向宗に雇われた。
恐らく、文禄・慶長の役でも紀州傭兵は出動したと考えられる。ここに接点らしいものはある。
また平戸はポルトガル、スペイン、そして17世紀初頭には英国が公館を開いていた。幕府がオランダを唯一の欧州交易国に指定するまで英国人がいたことで
有名だ。
欧州の火縄銃史は短い、およそ50年間だ。発世地域は、研究家によれば、
3箇所、ボスニア(ここの銃工をポルトガルはゴアに連れてきた)、フランクフルト(イスラムに影響を与えた)そして英国だと言われている。
ディビッド・ブリスデン国際前装銃協会会長が教授してくれた英国の火縄銃は
① ストレートでスリムな形状、②火蓋が全体を被う、などの特徴だ。
図面や写真はない。昔、ロンドンタワーが武器博物館であった頃、学芸員を訪れた。タワーには実物はなかった。火縄銃はほとんどが日本のものであった。
銃の諸元
全長 | 銃身長 | 口径 | 重量 | 目当て | 銘 | |
紀州筒 | 133.4cm | 99.6㎝ | 13㎜ | 2.7㎏ | 富士・三 | 南紀若山 |
平戸筒 | 133.5cm | 100.0 cm | 12㎜ | 3.1㎏ | 谷、釣瓶 | 正重 |
上が平戸筒、下が紀州筒
1、 類似点
細身で直線的な全体像、そしてカラクリや用心鉄の断面が「角」である。これは他の地方、流派の火縄銃には見られないもので、銃把は細味である。
紀州筒の特徴は軽いと言うことだが、平戸筒はややそれよりは重量があるがどちらかと言えば軽い。
引き金の形状は銃の種類の重要な要素だが、これら両種は同じドロップ型だ。
紀州筒は庵を落としてあるが、平戸筒は落としてない。
2、 相違点
カラクリの方式が異なる。紀州筒は内部がより複雑な造りで、ネジを使用している。頑丈であり、狂い難い。平戸筒は平カラクリだ。意匠的には平戸筒は火挟みのイボ隠しと俗称する部品が丸い。これが大きな特徴だ。
また、平戸筒は火蓋が全体を被い、明らかに防水を意識している。
紀州筒のイボ隠しは角を踏襲している。
目当てが紀州筒はごくありふれた狙い易いものだが、平戸筒は蔓の付いた谷っ照門である。(紀州筒の元目当ては殆ど片富士と呼ばれる方式、これは両富士より鉄の消費を少なくしたと物知りが言っていたが、目当ての半分、どの程度の
節約になったのだろう。本心はスタイルだ。)
3、 誰が製作したか
紀州筒は摂州、南紀、三重など紀伊半島の銃工の銘がみられる。
平戸筒の場合は特定の場所ではないようで、この例は「正重」阿波の銃工の作である。国友銘もある。従って同じ形状、機能で各地の銃工に製作を発注したと考えられる。
結論:紀州筒と平戸筒の形状、その他の類似点はなかなか興味深いが、日本の火縄銃はあまりにも形状に種類があり過ぎる。その理由は16世紀半ばのポルトガルから種子島に伝来した形式と、その後、様々な国からそれらの異なった形状、機能の銃が伝来し、その後の200年間の泰平は性能よりも形状やみかけの機能にこだわったからではないか。
(この項以上)