21、不思議なるかな「銃剣道」

米軍マニュアル「The JAP Soldier」の中の銃剣術防具を装着した兵の写真

 

①銃剣道の定義

武道協会の正式団体に「全日本銃剣道連盟」というれっきとしたものがあり、「刺突」を技術とする武道である。
剣道と異なり、道具は木銃であり、手は突く、刺すである。
現在の木銃の全長は166㎝。 剣道型の防具を使うとある。
自衛隊員に聞くと「あれが一番いやだなー」という課目である。
武道としての銃剣道が槍術から大正時代に日本独特の銃剣道となり
それが現在に至っているという連盟の認識にはやや疑問がある。

② 西欧における銃剣術の歴史

歴史的には日本の近世、江戸期までは槍がこの源流であり、火縄銃に
剣、槍穂先、刀剣を装着して行う、銃剣術はなかった。
なんでも徳丸が原の演習で演武された銃剣術が日本最初であったそうだ。
そのころの剣は断面が▽の四四式騎兵銃型のもので、受けは環で
銃身の先に環を挿入し回して銃身の凸にかませ固定した。
欧州ではフリントロック・ゲベール銃(頑丈な滑腔、口径18㎜)が
使用されていた時代、17-8世紀に一般的であった武器で、隊列を組んだ兵の列が互いに向き合い、太鼓の音に合わせて射程内に近づき、号令で発射、その後、着剣したまま白兵戦に移行した。
したがって銃剣術は欧州では17世中ごろからのものだった。19世紀になり小銃はミニエ方式(14.66㎜)に変り、剣はヤタガンと呼ばれる反りに2つある長い刃がついた刀型に変化し刃長60㎝ほどの長いものを、同じように使用した。従って、クリミア戦争、米国南北戦争時に欧米では銃剣を使い、戦闘する方式は確立されており、それが幕末、明治初期に日本に伝わらなかった背景はない。

③ 日本における銃剣術の歴史

日本ではこのような戦闘方法は江戸期なかった。
槍がその代わり使用されたのだ。槍にも多くの種類があった。
槍は長いものは身が30㎝以上、全長4-5mのから、実用的な
全長160-180㎝で穂先が15㎝未満のものが一般的だ。
日本武道の定義としてはほとんどその元は江戸期にある。
明治になり、戦闘法が欧米式になってから、柔術は柔道、
剣術は剣道、弓術は弓道、そして槍術が突くが日本の銃剣道に
なったとしているが。現実に銃剣道の明治以降の発展をみると
少しちがうかな、という感じもする。

④ 帝国陸軍の銃剣術

明治初期には外人顧問団が銃に着剣し戦闘する方法を紹介した。
銃剣術が帝国陸軍に採用されたのは村田歩兵銃の時代だが、二十二年式のみ銃剣は極端に小さい。兵のほとんどが武道に優れていたのであろう。相手の懐に入り、刺す、突くなどを特技としたからだろう。
下は日露戦争の英国で出版された書物の表紙で小柄な日本兵が大柄な露西亜兵を銃剣で刺している画。

日露戦争を前提とした武器兵器制定三十年式は寸法的にはその後三八式が使われていた昭和20年(1945)まで同じ寸法で九九式小銃にも三十年式銃剣は共通に使われていた。
一般には大正時代、日本古来の槍術をもとに銃剣術が制定されたとされているが明らかに軍用の銃剣術、19世紀末がその始まりだ。
日本帝国陸軍では銃剣術は歩兵の重要な課目で、射撃の次に銃剣術を習得つけさせた。木銃の先に反甫(タンポ)を装着し、そして左肩に専用の布団というまた固く、右腕にも頑丈な防具を装着したとしても、かなり危険な課目であった。

昭和16年(1941)民間では大日本銃剣道振興会が設立された。
その背景には日中戦争において銃剣は効果的な武器であり、夜戦を
重視する軍の意向があったのであろう。

⑤一人で七人の敵を刺殺した人の話

昔、直接聞いた話だ。「命じられ、敵地を偵察に行ったが、方角を失い食事のにおいを嗅ぎつけた。直ぐ近くに寄ったら、支那兵が数名、食事中のところに出た。敵は警戒もせず武器も近くにはなかったが、銃を発射する間もなく、日ごろの訓練通り、次々に相手が立ち上がる間も与えず夢中で刺して、刺して、刺した。絶命しないものもとどめを刺し逃げ帰ったそうだ。翌日、日本軍がその窪地に侵攻したら7名の敵兵が刺殺されていた」、という話だ。
三十年式・三八式歩兵銃は全長約130㎝、それに刃長40cmの銃剣がつくとかなり槍に近い。槍術から発展した軍の銃剣術はかなり強力な戦闘法であり、米国の資料を読むととてもM1ガーランドとその銃剣では相手にならぬから気をつけよ、としている。

⑥ 学校教練の銃剣術

1930年代になると各種学校では軍事教練が実施され、教練教材に多くの銃剣が使われた。南部式八分の七小銃にも小型の鋳物の銃剣が使われていた。

また写真のような全長165㎝の木銃、これは銃床が小型で、反甫の素材は白樫製のものは皮革、欅製のものはゴムである。
銃床は底10㎝、握りまで25㎝、全長165㎝、下が白樫製
先日、横田基地に行ったら米兵用のみやげものとして、この寸法の
新作の木銃が売られていた。

⑦ かなり軍事色の強い銃剣道

全日本銃剣道連盟資料では、大正時代、軍部が日本古来の槍術をもとに銃剣術が制定したとされているが明らかに軍用の銃剣術は19世紀初頭がその始まりで、三十年式兵器制定に大きな影響を与えたと
推定できよう。


ウィキより

木銃身は軍国時代と同じ166cm。防具が軽くなっているようだ。
日本武道の元は江戸期にあり、現在の銃剣道は槍術かというとかなり疑問がある。少なくとも銃に剣をつけて戦闘するという帝国陸軍(帝国海軍陸戦隊を含む)の概念から出たものと思われるからだ。
第一次、朝鮮戦争のころ、GHQは日本の安全保障にパニックになった。その時に銃剣道は帝国陸軍の銃剣術を知る彼らにより、制定されたと推察する。(この項以上)