新発見 9:将校用小型拳銃収容嚢のデザインは「名古屋工廠」なり
はじめに)ここ何年か311災害の東北各県、その後の九州の地震などで多くの家屋が
崩壊し、再建築するために古い家屋を処分した。
その際に少なからず屋根裏、壁の空間、納屋などから銃砲刀剣類が発見され、当該地の
警察署に報告された。刀剣は問題ない、発見届けを出し、登録審査を通過すれば持てる。
古式銃は微妙であり、拳銃と弾薬は問題が多い。
陸上自衛隊武器学校資料館展示品 ブローニングのものだが造りが異なる
多くの各地警察署は陸上自衛隊武器学校に状況と写真を添付して尋ねてくる。
自衛隊にはそれに責任ある回答をする任務も義務もないが、以前は善意で答えていた。
しかし、近年は民間人で武器学校顧問である私にその任が回ってくる。
写真を観察し責任ある回答に心がけている。外国で博物館、収集家、本など多くの情報を研究した経験が生きている。
米国の友人たちも助けてくれる。以下はその一例である。
① 九州のある警察署からの問合わせの例
とある家で故人の遺品として、小型コルト拳銃と装具、弾薬100発、発見が報告された。
その方は技術曹長だったそうだが、終戦と同時に尉官になった。「裕福なご家庭で
なかったですか?」「弾薬のケースの頭がピンク色ではないですか?」の質問をした。
(けして弾薬を試してはいけないとも伝えた。古い弾薬は危険だからだ。)
② 装具品は収容嚢、弾入れ、すべて未使用で良い状態の写真が付いていた。
これは珍しい。収容嚢に名古屋工廠昭十七.七月と鯱の刻印が見えたのだ。
弾薬収容嚢は厚い皮革でこれには「大」大阪工廠と△の刻印、五〇発入用だ.
ブローニング、コルト小型拳銃弾倉は異なるが(ロスの葉山さんに教えて
いただいた)同じ。32ACP弾を使用し、日本の工廠で製造、供給していた。
③ 武器学校への寄贈を依頼する。
警察庁の許可を得るという返事だったが、紙箱もお願いした。
これはありがたい。依頼の文書と鑑定は私が書いた。
なぜ重要かというと帝国日本軍の拳銃収容嚢は南部小型も含め、フラップ
(蓋の両端がつまみ型になっていて、柔らかいながら実用的かっこいいからだ。
南部小型、ブローニング、コルト各々微妙にサイズが異なるが同じデザインなのだ。
(南部小型には様々な形があり、町の靴や製など不格好なもののある)
武器学校には小型コルト32口径はあるが、収容嚢はなかぅたし。
いただいたものには負皮帯がなかったが。
名古屋工廠歴史には1930年代後半に中国で多く鹵獲したコルト整備したと
ある。(葉山氏は50-55代シリアルが日本に正式輸入され、この拳銃は40万代
で中国で鹵獲したものの払い下げだった
寸法 11x4x0.55cm
勿論価値のあるのは日本製だ。カタカナの「ス」が大きくスタンプされている。
50発拳銃弾箱がこの収容嚢に入る。
水交社の販売だったのか、持主は帝国陸軍だったのか、帝国海軍だったのか?不明だ。
終わりに)
東北から出る古式銃は登録できないほど、改造し、痛んでいるものが多い。特に珍しいものも少ない。
警察署、警察庁が正確な判断をしてくれると今度のような新発見がでる。
葉山氏は日本の収容嚢に入った小型コルト32口径を5セット観察したが、製造刻印のあるものはなかたそうだ。
この拳銃の収容嚢以前にも製造者が不明な収容嚢は沢山あるが、刻印を打つくらいだから、元は名古屋工廠で
あり、ブラザー工業などが製造した可能性は高い。警察署と葉山しに感謝する。
(以上)