14、帝国海軍19世紀後半の小口径連発砲 ホチキス方式の採用

はじめに)
佐山 二郎著「日本の大砲」は名著である。多くの写真、正確なデータ、手元から離してはおけない存在であることは何度か書いた。
帝国海軍砲は米国博物館でみることができるが艦の砲台や架台が当然ないので展示が難しく、数も少ない。帝国海軍の巨艦主義にさまざまな砲が採用されたはずだが、資料は少ない。現物は呉に戦艦利根主砲身のみが大和ミュージアムの横に展示されている。
日本資料では明治20年ごろ、帝国海軍は連射できる砲艦用艦砲を探しておりそのなかにはホチキス、デルトムント、マキシムなどの実験が行われた様子が記述されていた。
結果、ホチキス37㎜を採用し、日清戦争には小型艦艇に装備されたと、米国資料には書かれている。(リビー教授からの情報)また帝国海軍37mm弾の実物も多くみた。帝国海軍のものは⚓の刻印が入っている。以下はリビー教授の論文と私が保持している砲弾の研究である。

帝国海軍が採用したホチキス機銃)
ガットリング方式で砲手が手でハンドルを回しセミオートで発射した。弾倉には箱型各種があるが重すぎて装填が難しかったのであろう。帝国日本は手込め方式だったようだ。
助手が2-3発ずつ次々を装填した。図①

弾倉は上に立ち20発収納だそうだ。ロシア・ドイツ・北欧をはじめ日本など多くの国で採用された。簡単な仕組みで故障は少ないとみえる。
射程は2300mほどで19世紀の海戦、小艦艇対策だった

ホチキス37mm砲の特色は砲弾)
各種砲弾があるが、1、胴帯でライフルに噛ます。2、ほとんどが鋼鉄弾で信管は尾底だ、つまり相手の防弾被甲を破壊してから炸裂する。観た砲弾の胴帯からライフルは20条。
下は各国銅帯着用弾薬 ②

尾底信管はこの当時は珍しいものであったが、第二次大戦20mm対戦車、対空砲に頻繁に使われた。信管装着には各種存在したが、二つ穴を回す方式が一般的であったようだ。砲弾長は実測950㎜。

日本における採用)
1888年ごろから37㎜砲は、三島、沖ノ島、丹後、相模、秋桜、肥前、岩見、7隻の砲艦に各々8-12門搭載され総計は約30門だった。その他清国からの鹵獲砲艦4隻にも、上記のほかに装備されて
いたと推定される。帯は銅ではなく帝国海軍の砲弾は真鍮だ。③

日本の砲弾の例。⚓の刻印。信管底がついているものは収集家物④

帝国海軍砲艦での37㎜の使用)
恐らく日本海戦でもバルチック艦隊から多数鹵獲しはずだ。⑤

帝国海軍での射撃の様子。⑤

北欧の国々とドイツでは自国生産もしてホチキスの地位を確立。
日本は1898年、小口径機関銃「保式」を制定した。

おわりに)
37㎜ホチキス実砲弾を加工し木台をつけ民間に払い下げられたようだ。⑥


中は空洞だ。⑦

その他、発射砲弾としては以下のように47㎜弾砲が各国で拡大され
た。砲弾全長は20㎜、尾底信管の入る穴の直径は20mmだが、
装薬量が異なり起爆剤も長いから信管の互換性はなかった。⑧

37㎜を拡大し47㎜にした例は外国には多いが、これは同じ
方式、鉄鋼弾、尾底信管で珍しいものだ。 砲弾長さは95㎜、ライフル帯は2帯、先は線状13条、後ろは17条でいずれも銅製だ。⑨


このホチキス砲は帝国海軍の清国、ロシアでの戦闘で活躍した砲だが、あまり語られてなく、研究されてないのは残念だ。
(以上)