日本の戦争画
日本の武器兵器 ギャラリー その14
2018・12
戦争画の定義)
戦争画は戦争のシークエンスを描いた芸術作品である。
目的は幾つかあろう。
〇戦争のシーンを歴史に残す 写真のない時代の報道。
〇戦争を人間の精神、感情で表す。
〇戦争を否定する。
〇戦争の人間に焦点を当てる。
などがあろう。
日本の戦争画は古くは「平家物語」江戸期から明治初期には錦絵、日露戦争期より西欧の影響を受けて絵画。日中戦争から太平洋戦争に掛けての芸術家を動員した国家プロジェクト、戦後の原爆など反戦をうたったものなどの変遷を経ている。

特に戦争画と言う場合は写真が出た後、高名な画家が描いた油絵を言う。
藤田 嗣二、小磯 良平、中村 研一、佐藤 敬、鶴田 吾郎などが欧米でも高い評価を得ている。
中村 研の「ニューギニアの死闘」ダグラス・マッカーサーが激賞したと言う。

戦後、占領軍が資料として持ち帰った日本の戦争画は変換され国立美術館の所蔵でかなりの規模の収集だそうだ。
靖国神社 遊就館にも貴重なものがある。
恐らく米国には収集家が所有しているものがかなりの数、現存していると思われる。

自分でも欲しいと思う戦争画)
いろいろ機会を見つけては探していたが、市場ではほとんど発見できなかった。
なら自分で描いてみたらと考えた。
1990年代半ば米国で収集家の要求、英語で「中国戦線の日本兵1930年代」と言う写真集を刊行した。
写真は東京日々新聞(現毎日新聞)のもので版権料を支払った。
それを見返していて、幾つかのヒントを得て、これなら自分でも描けると感じた。
油絵の利点は観たものを写実するよりも感情を形、色、で表すのが基本で、しかもデフォルメ、モンタージュ、など手法が使える。そして何よりも「その場の気迫」と言うものが伝わる作品にしなければならない。
絵画の基本、バランス、立体感、奥行きなどは重要な要素だ。
以下、自分で描いた例、
①「八九式戦車と兵」昭和12年 中国戦線


戦車の後部に荷物が積んであるのは省き、兵の数も限定した。
②「南方の重爆機」昭和18年 サイゴン



③「ノモンハン草原の偵察機」昭和15年
日ソの大規模な衝突が満州国とモンゴルの境界で発生して帝国陸軍は空戦ではソ連を圧倒したが、地上では火砲、戦闘車両でソ連に圧倒された。空からの偵察は重要で草原に着陸しては、偵察員が参謀に戦況を報告した。
その様子の写真から起こした。

④「中国戦線の日本兵、軽機を立射」昭和14年
ダンさんの父上にいただいたスナップはチェコ機銃を抱えていたが、九六式軽機に置き換えた。
父上はまさしくプロの戦闘員であった。

欧州の戦争画
イタリアの植民地軍の葉書2枚、1914年の「第四大隊の突撃」と「野砲小隊」ラクダ搬送の珍しいもので1930年代、イタリアがエチオピアを統合したころに発刊された石版画。
この兵士たちとラクダは、「フェザーレ」現在のリビアの一地域。

フランスの騎兵
19世紀末だろう。フランスの騎兵は騎兵銃を使わず、石版大判

⑤「九七式艦上攻撃機ハワイ」 昭和16年12月 フォード島上空空母6艦を備えた帝国日本海軍機動部隊が、ハワイの米国海軍太平洋艦隊の艦艇を攻撃した図だ。
この1月にフォード島を訪れて地上で感を新たにした。
九七式艦上攻撃機は中島飛行機開発で三菱を合わせて1400機が生産された。乗員3名、機体は長い、大きな翼で、発動機は1000馬力ない、このような機体に800kg爆弾か800㎏魚雷を装備した。
爆弾はこの図のように高度から、魚雷は海面すれすれの低空で落とした。魚雷の命中率は6割以上を高かったが、被弾率も高かった。
ハワイ攻撃はこの機体と九九式艦上爆撃機(脚が出ている)の2機種、護衛が零戦だった。映画「トラトラトラ」では、帝国海軍の全ての航空機は灰色塗装である。この絵では緑のジャングル塗装にした。単なる色使いの問題で。

絵画で帝国海軍ものを描いたのはこれが初めてだ。
機体の図面や写真を観察するに、大きな翼、長い胴体(全長15m)、このような機体を空母から運用する帝国海軍の能力の高さを証明した。
⑥「犬と兵隊」 昭和14年頃 中国戦線
中国戦線が拡大すると日本各地の家庭から犬、ジャーマンセパードなどが応召された。戦地に送られて、犬係の兵が付き警備、伝令などの役についた。どのくらいの犬が動員されたかは知らないが復員した犬はゼロだったろう。
靖国神社に犬のブロンズがある。

犬係の兵は鉄帽を体の前に下げ、後ろには犬用の食器を吊るした。
この犬種は聴覚嗅覚が抜群で、頭脳明晰。
⑦「四一山砲の発射」 昭和6年 満州事変
関東軍は多くの車両を駆使して作戦を行った。
馬賊には戦車、装甲車をはじめとする車両が。
この絵画のもとになる写真でも、後方にトラックが停まっていた。
「すみだ」の6輪車だと思われるが使用されていた、山砲や砲弾、砲隊鏡をこの山腹まで運搬して来たのであろう。

野砲や山砲の発射、近代的装薬を使用してもその煙の多さと、轟音、
そして振動は近くにいる者を驚かせよう。
数キロ先の敵を攻撃していた。
続く・・