5 、鏃(やじり)と矢羽根
矢には大別して稽古用の『的矢』と戦闘用の『征矢』(せいや)の2種類になる。的矢は4本を一組とし筒状容器に収容してあったのが一般的だった。現在でも弓道をやる人々が袋に入れた長い弓と筒を持って運んでいる。一方征矢はあまり多くが残ってない。征矢は鏃の鉄、矢の竹、そして矢羽根で構成されている。その特徴は弦をつがえる、はずと言う尾の部分が切り込みであることだ。的矢は、鏃の替りに空洞の鉄被いが、そしてはずは稽古で数多く使うので、骨、木製の部品として装着してある。
![]() |
![]() |
矢羽根は日本の矢の特徴の一つである。日本に在した雉、山鳥、飛来した鶴、鷹、大鷹、鴨などのある程度大きな羽根のとれる鳥類から取った。(現在は輸入)
右は鷹の模様を活かしたもの、左は白鳥のものだ。
1本の矢に割に長めに3枚で矢が回転するように装着してある。ニカワなどの接着剤と前後を糸で巻いて、漆で固めてある。羽根長は15,12,10,8cmと矢の長さで決まっている。江戸期の矢がそのまま良い状態で残っていることは少ない。矢羽根も矢本体の竹も時代を経てもろくなっているので、これらを射ることは不可能だろう。
室町時代に矢の長さは3尺2寸に制定したとあるが、これは定尺が7尺1寸の弓用で、江戸期に様々な弓が出現したので、各々の長さに応じた矢が存在する。
上から矢長、44㎝、57㎝、72cm, 93㎝、(短弓用、弓長1m用、4分3用、長弓用)
矢の名称 日置流伝書
矢の加工製作は手間が掛った。均一、まっすぐな細竹を砂で洗い、石で磨いた。正確に飛び空気抵抗を減らす工夫のためだ。太さは征矢で9-10㎜、的矢は7-8㎜が一般的だ。
鏃はほとんどの場合、長い柄、中茎で竹の孔に入り込んでいる。外国の木製矢に鏃を被せる方式とは異なる。矢に鏃や矢羽根がきちんと固定されてないと、矢のエネルギーが的に伝わらない。
矢職人 北斎画
征矢と的矢の差異は以下のようになろう。征矢は太い9㎜、的矢7㎜、征矢のはずは直接竹を切り込んであり幅4mm、的矢は装着で幅2㎜、この鏃は征矢40㎜、的矢14㎜
![]() |
![]() |
重量は征矢50g、的矢27g
鏃の形の種類はとても多い。その一部を紹介する。
1、 斧形鏃
未完成な鏃のように見えるが、斧の形をしている。強い弓で、木製の楯、戸などを割るための鏃だそうだ。長さ25㎜、幅9㎜、厚さ10㎜。
2.3種の実用的な鏃
① 平根 平たく両側が刃になっている。長さ65㎜、幅10㎜、厚さ6㎜
② 一般的な断面が菱形の鏃、台の前が窪んでいる。長さ66㎜、幅8㎜、厚さ7㎜
③ 在銘の大型の鏃、長さ70㎜、幅10㎜、厚さ9㎜
![]() |
![]() |
鏃は竹に入っているだけなので、引っ張れば抜けてしまう。人体に刺さった場合も鏃は体内に残るのが中茎を挟む道具を使えば抜ける。
3、 稽古用矢先と短い鏃
稽古用の鏃は長さ14㎜、直径7㎜程度で中は空洞である。矢の先端に被さっている。
事故防止も考えてこのような構造になっていると思われる。
短い鏃は長さ18㎜、幅7㎜、厚さ7㎜で使用目的は不明である。これも稽古用に標的を
射るものか、もしくは流鏑馬などに使用したものか。
4、 透かし鏃
「猪の目」(ハート型に似た図案の名称)を透かをほどこした大型、長さ80㎜、幅50㎜、厚さ2㎜、剃刀の刃のように鋭い。(中)同じく桜を二つ合わせた透かし長さ、72㎜、幅35㎜、厚さ2㎜、同じく刃が付いている。(上)
矢長、上100㎝、中96㎝、下92㎝
![]() |
![]() |
![]() |
透し鏃の種はカミソリ風の刃である。軽くするために透かしを入れると言う意味は分かるがここまで芸術性を追うかがひとつの疑問だ。ハート型のものは「猪の目」と言い日本の図称の一つの典型的なパターンである。蕪が付いた、差す股の鏃は主に水鳥を射るものだったとのことだ。まず鳥は蕪の音に驚かされ、動けなくなる。そこで鏃が首を切断すると言われている。
さす股の長さ45㎜,先端の幅45㎜、蕪(かぶら)は骨製長さ55㎜、直径30㎜、穴3個
また矢の透かしも「猪の目」である。
②蕪矢
日本独特のものだ。2種類に大別される。音を出すもの、出さないもの。
出さないものは固形で「犬追い」などのゲームに使用した。音を出すものは合図にまた、先に述べたように獲物を嚇かした。
蕪の矢は2本同じものがあり、下2本は穴が小さい、全長100㎝、蕪長55㎜、
上は穴が大きく全長92㎝、蕪56㎜、直径30㎜、いずれの蕪も先端には鉄板が付いている。
その直径は13㎜程度で薄いものだが、蕪が割れぬようにと、先端のバランスだ。
![]() |
![]() |
矢羽は下の残っているものを参考に上を作成した。
5、 中弓矢
断面が正方形で4角錐の形、矢長56㎝、鏃長23㎜、矢は黒、赤、金色で識別されている。
小型弓の矢の鏃は大体がこの形状のものである。
6、 在銘の矢
黒漆塗りの太い矢に、「東海道三河国住人 大和流 大山鉱九郎門人 沢井惣一」とある。
7、 黒塗りの矢の鏃
迫力があり、太い、長さ91㎜、鏃長65㎜、幅9㎜、厚さ5㎜
(羽根は再製作)
8、 弓矢台の矢
弓矢台の矢立ちに入っていた矢10本の一部である。太い征矢で、長さ94cm,太さ10㎜
鏃長40㎜、幅8㎜、矢矧(はず)は竹を幅2㎜に深さ10㎜に切り込んだもので、射る際に指でつぶしたと言われる。矢の重量は大体長いもので50gくらいである。(矢羽根は再製作品)矢には漆のグラデーション塗りがほどこされている。
![]() |
![]() |
9、弓矢台にあった平根矢
弓矢台には2組の矢立てがあり、各々は11本の矢が入っている。そのうちの1本は平根矢でその一例である。矢長89㎝、太さ10㎜、矢羽根は4枚。1組10本の矢の鏃は揃っているのが普通である。
鏃長28㎜、幅20㎜、猪の目の透かし。
![]() |
![]() |
(矢羽根は再製作品)
矢には漆でグラデーションが入れられ、それは矢の格を表すと言われた。鏃の鉄質は良くない。
10、箱入り矢立ての矢
蝶紋入りの箱に2組の矢立てがあり元はそこに長弓もあったのだろう。
幾本かの矢が残されており、その鏃は特徴的である。
先端が痛んでいるが、矢本体は黒漆塗り、格の高い家のものであっただろう。
(矢羽根は再製作品)
11、3本の弓矢台の矢、
全てオリジナルのままである。矢羽根、矢、鏃 全てが高級品と言って良いだろう。
矢長98㎝、太さ10㎜、鏃長47㎜、幅10㎜、厚さ8㎜、従ってやや菱形の断面の鏃である。
12、短い鏃2
![]() |
![]() |
上の鏃は25x12x5㎜のずんぐりしたもの、下は鉄の個体で18x直径7㎜
13、黒塗り弓矢台の矢
矢長98㎝、鏃長34㎜、幅9㎜、厚さ3㎜、平たい断面を持つ鏃である。
![]() |
![]() |
矢本体は黒く塗り、羽根は白い鳥のものを使っていた。
以上、征矢を中心に紹介した。矢羽根の極端に痛んでいるものは、残ったものを参考に
弓具店で修復して貰った。羽根は中国製が多いとのことだ。
14、その他の鏃
①錘が付の鏃、全長45㎜、太さ10㎜の断面は正方形
②4本揃いの鏃、一般的な形状であり全長25㎜、大体がこのように錆が出ている。
③平たい大型な鏃、時代はある、全長70 mm,幅16mm,厚さ3mm,戦闘用にと言うより猟に
使用したか。
④ 磨いてしまった鏃 大体が錆びているので、磨くと角が落ちる、研ぎに出さねばならない厄介なもの 、50mm
⑤ 長く太い矢には長い鏃、短く細い矢には短い鏃
下70㎜、上30㎜
⑦上は太さで分かるが長い征矢、下は短弓のものである。20mm
征矢は現在ではほとんど売り物はない。鏃だけなら数千円で出ることがあるが、まずは贋作が多い。鉄質と形状そして時代を見る。
征矢は「京都嵐山美術館」の収集物でも数が足らず、的矢で展示していたのを思い出す。
4 、矢収容器類
矢は当時の他の武器とは異なり、慎重に管理された。命中率を高めるには矢そのものが完全でなければならず、曲がったり、鏃がゆるんだり、また矢羽根が狂うと効果が発揮できないからだ。そのために戦闘用にも、狩猟用にも、稽古用にも矢を収納する容器は実用性と更に格を表す豪華性、芸術性などを重んじ、また儀礼をも加味し、作られた。
特に参勤交代などで使われた品々の豪華性は測り知ることのできない労力が使われていた。
1、的矢を入れる筒
粗末な竹を削ったもの、蓋が欠落、底は木製
2、 的矢を入れた筒、江戸期
全長90㎝、紙を張り合わせ漆仕上げしたもので防水には問題ない。
「大と○二の合印が入れられている。
3、現在の矢筒
現在も的矢4本を収納するもの、長門という紙紐を漆で固める方式で製造されている。手作りだ。
会社の弓道部で使用していたものでおよそ50年前のもの。蓋などは凝っている。全長97㎝
4、細い蝦(えびら)征矢4本収納
運搬用と固定用がある。運搬用の小型。しっかりとした収納で雨風にも強い。革具で身体に固定してようだが、その方法が不明。全長98㎝、上直径8㎝、花入れに使われていた。
5、中太の蝦 征矢6本収納
在銘で「御うつか師 竹内広篤 広重」とある。
底の構造が不明で、この木製の筋は鏃を保護するためのものだろうが、隙間には鏃の先は入らない。全長96㎝、上直径12㎝
6、空穂(うつぼ)
大型征矢10本以上を収容する 「具足着用の次第」より
全体を熊か猪の毛皮で被い、矢が濡れるのを嫌ったようだ。
7、矢入れ
4分3弓用の矢入れで矢を11本収容し弓と弦の間に挟む。猟用であろう。
使用する時、矢入れは腰に差し、右手で1本ずつ抜いた方式だ。
全長54㎝、皮袋の幅12㎝と小型で70㎝の矢が10本と平根矢が皮袋の外に1本入る。
(矢羽根は再製作)会津地方のもの。
8、塗蝦(ぬりえびら)
中島源尹信 幅14㎝、奥行12㎝、高さ10㎝、内部には30本の細い木の受けがある。
この受けには鏃は入らないが先を痛めることなく置いておくことができる。長い太い絹紐で腰に回して身体の右後ろに来るように固定したそうである。優雅で美術品の類だ。
![]() |
![]() |
![]() |
箱蝦は種類が多いがなかなか見ることはない。時代的には古い形式と考えられる
9、竹製矢入れ赤 具足着用次第より
10本の征矢を保持する台だが、この台自体は弓のなかにはいる。鏃は右の革袋で保護される。このまま腰差しもできる。竹製で軽い。全長66㎝、上幅17㎝、厚さ3㎝
矢の固定は紐か帯を回したものであろう。この矢入れも弓に弦を張った場合、その間にいれるようになって運搬し、使用の際は腰にさした。
皮袋にある弓を保持する金具
9、竹製矢入れ黒
革袋が大きいが収納する鏃のためだろう。皮袋は2重になっているが状態は良くない。
10、弓矢台
持ち運びに使用し、2張の弓と11本矢入れ2個が一つの台に載せられ一人の下士が運搬する。全長80㎝、上部枠幅9㎝ 矢羽根再製作
数は見られるが大体同じ形式でありこれに弓を載せたら大変保持し難い方式ではあるが。
上は「蜂須賀家」のもので、同じものが蜂須賀家にある。下、その他同じ形式の弓矢台
下矢羽根再製作
蜂須賀家の弓矢台の各所
弓矢台の各所。
11、箱入り弓矢台
豪華なものである。木箱の皮革を張り、押し型で蝶の家紋、模様を入れた高級品。箱に弓2張を一緒に入れ運搬した。
全長90㎝、上幅21㎝、厚さ10㎝
12、矢屏風
折りたたむ屏風形式であり、11本の矢が4枚、44本収納される。装飾家具としてまた
実用として使うもの。折りたたんだ状態(下)高さ90㎝、幅37㎝、折りたたみ状態11㎝
インテリアとしても優れたデザインだ。
13、矢箱
野戦の兵站に使用した矢を運ぶ箱
箱の実物は各地のお城の展示などで見られることがある。(例大阪城)
3 、短弓
この種の弓に関して書かれたものは非常に少なくて、まして実際に使われた内容の記述はみたことがない。一番多く展示してあったのが、あの「京都東山美術館」だったが、その収蔵品も散逸した。どの程度の実力があったのか、その威力は現在残されているものからは証明できない。と言うのは鯨の髭を材料にしたと言う弓自体(他の木や竹を合わせたもののそうだが)、鉄砲のように整備して使うことが不可能だ。
同じような大きさ、形にファイバー繊維などを使いレプリカを作り実験してみることが必要であろう。また様々な形式が下記のようにあり、これも何を意味するか。籠に乗る際に常備した、床の間においたなどいろんな説がある。大型のものは鳥類などの狩猟には使えただろう。紀州藩に抱えられた帰化人武道家、林 李満の流派であるとの話も名和先生から聞いた。弦は常時、張られていたので、そのまま矢をつがえ、射ることが出来たのが利点だが、材料の時代による劣化からそのまま実験できないのだ。以下、幾つかの例を紹介する。
1、 携帯用の例
わりに大型で飾り気のない実用的な弓矢である。弦がついている。台の底は板で縦に挟みがあり、台の上は弓と矢を挟むように細く曲がっている。弓は弦部66㎝、幅28㎜、厚さ9㎜、矢は全長48㎝(鏃2㎝)が4本残っているが、細く6.5mmで軽い。大陸の短弓のような形状で、皮革の握りは太い。鶴紋入りの革袋が下で受けているから猟師の弓矢ではない。
多くのこの種は矢が別々に入る形式だが、これはそうなってない。
2、 箱型の簡単な作りの例
全体が骨と言うか鯨の髭と言うか、現在のプラステック素材のようなものでできていて、矢は2本欠落しているが、本来11本が各々入る形式で、うち1本は平根の鏃である。弓は伸びた状態で65㎝、幅24㎜、矢は全長39㎝、鏃は20㎜、大体この長さが威力の目安だっただろう。
3、 小型弓
長弓の半分の長さで本来ならこれが「半弓」だろうが、一般的ではない。また弦は常時掛けられた方式であり、この点も異なる。材質には鯨の髭の複合材が使われたおり、漆仕上げ、長さ57㎝の矢4本が付いていた。
頑丈な作りで今でも使えそうな感じである。このような弓を猟師が使用したものではないかと推察する。
矢の先端と弓の先
4、 家紋入り鼈甲箱の李満弓
弓長は60㎝、矢長は35㎝が7本ついていた。台には腰差しがあり。弓の状態は良かったが、動物性の材料は劣化するので、台はあまり良い状態ではない。
矢羽根4本は再製作。元は格の高いものであっただろう。
5、 鏃が固形の李満弓
台は鼈甲、弓は鯨の髭、典型的なこの形式の弓矢だが、鏃が個体である。
弓60㎝、矢40㎝
鏃は洋風な個体の鉄が被せてある。
6、 五星紋の高級李満弓
皮革と鼈甲で造られた箱。皮は金色に塗られ、五星紋が入れられている。弓は44㎝、矢は36㎝と小ぶりでこの手のものが、身分の高い者が乗る籠に備えられていたのかもしれない。弓の巻きは上に12、下に12、矢は平根矢もあり、箱も健全な状態である。
矢は揃っているが平根矢のみ欠落
7、 矢のはずが骨製のもの
弓は全長44㎝、矢は38㎝、厚い皮革の握りである。腰差しも頑丈であり、外で使ったものであろう。凝った作りの高級品であろう。健全な状態である。
8、 金皮台の豪華なもの
弓長80㎝、矢長30㎜、弓重量200g
ほぼ完全品であり、弓に弦をつけることもできる。矢羽根もほとんど健全である。
弦を掛ける部分
![]() |
![]() |
平根は革箱の横に入り、握りは太い。
9、 五三の桐、鏃の大きな高級品
恐らく今までの中では一番の高級な弓矢だ。弓は70㎝位の大型、矢は45㎝だが、鏃が大きい。3㎝ほどある。箱も全く痛んでない。皮革のまわしには桐紋。
完全な品だ。鏃は在銘で「高麗」とある。これが李満弓、林 李満が半島から渡ってきて紀州藩に仕えたと言う伝説の元ではないか。
![]() |
![]() |
箱は簡単ながら腰差しが出来る様式であるが矢は個別にならない。(平根矢のみ矢羽根再製作)
10、 箱入りの小型弓
箱裏の銘
流派のものであろう。黒塗りの木箱、51㎝x18㎝の中に弓、全長45㎝に矢10本と蕪矢が収容する挟みが入れてある。懐に入る寸法だ。弓を矢の収容嚢に入れ懐からそのまま射る仕組みであったのだろう。矢長は30㎝、弓は
厚く強い引きが必要である。一種の「隠し武器」であったのかもしれない。
蕪矢と弓(ほぼ上下対照である)
以上、小型携帯弓に関してであるが、ではこれらの弓の有効性はいかがなものであったか。推定だが、長さ1mの弓で有効射程約25m、小型のものでは10-15mくらいだったのではないか。弓本体の太さから考えるに初速のエネルギーは相当あったようだ。矢羽根はほとんどが元のままである。
2 、いわゆる半弓(長弓の4分3)
半弓を文字通り捉えると弓長1mほどの短いもの、短弓になってしまう。
ところが1mほどの弓はほとんど見ない。(この原稿でも短弓に一例)
「半弓」と呼ばれる小型、弓矢の組はほとんどが豪華な造りである。しかし寸法的には半分ではなく、長さ160㎝と本弓の4分3程度の長さであり、矢長は約72㎝である。どうもこの寸法の弓を「半弓」と呼んだのではないかと推定する。使い易い、威力はある。また数も比較的残っている。特徴は仕上げが美しい、握りが半分よりやや下、まん中に近い位置にある。弦は反対に掛ける。
1、 豪華な組である例
材料は鯨のひげが使われており、内側は木製金色で、籐の照準がある。矢入れには下がり藤の紋が入れられている。弓長160㎝、矢長72㎝
握りの上の照準
2、半弓の例2
これも豪華な作りであり、握りの上下に14の巻きがある。握りの革にも模様がついているが、この弓の特徴は幅が広いことだ。約30㎜、弦を張ると表は金色に塗ってあり複雑な模様であり、裏は赤い漆模様だ。
矢は2本しか残っていないが、この弓とまったく同じものを他で見た。対であったかもしれない。矢長73㎝
3、半弓の例3
作りが一般の弓の近いもので縮小したもの。複雑な巻きである。上部は15巻き、下部は10巻き。重籐の巻きである。握りの革は帯を巻いた方式で芯には紙が入れてある。矢はないが恐らく70㎝のものを使用したのであろう。
長い弓と短い弓を射る侍たち
猟をする侍クラス?
猟師の弓は明らかに短いものであった。この寸法の弓矢は猟に使用されたものではないかと推定できる。
北斎漫画より
本弓の定尺7尺1寸は戦闘では騎乗、徒歩で使用されたが、野山を歩きまわる狩猟には長過ぎたのではないか。「甲冑着用次第」の図でも「半弓」と書かれている図は、本弓の半分の長さではない。
1 、本弓(長弓)
長さ7尺1寸、213cmの日本独特の弓は、本弓、長弓と呼ばれ、弓の中の弓であった。主に騎乗から射放たれ、長い矢約1mを使用した。礼射として「流鏑馬」、訓練として「犬追い」などにも使われた。本弓の特色は上下対象ではない。握りが上2、下1の位置についている。
犬追い(上)と流鏑馬(下)いずれも勇壮な弓使いだ。
1、 重籐の弓 村重籐
全長214cm、幅27mm、厚さ23mmと重厚な弓で巻きが全て残っている、握りより上に29巻き、下に15巻きあり、恐らく一人では弦を張ることのできない強さだ。程度が良いのは皮革の収容嚢に入れられていたからだ。この収容嚢は全長230cm、幅12mm、赤漆仕上げ、葵の紋が2個入っている。
2、 稽古用の竹張弓
構造的には木に竹を張り合わせたのであろうが、内側には竹がそのまま出ており節もある。幅は26mm、厚さ16mmで稽古用の矢筒が付いていた。飾り、巻きなどはないシンプルな弓である。
3 糸巻き漆塗りの弓
重ね構造で籐の下も糸で巻きその上に漆を厚く掛けてある弓、幅28mm、厚さ19mmとそれほど強い弓ではなかっただろう。しかし全体に簡潔な巻きで高級品であることがとれる。
上から下半分、中は上半分、下は握りの部分
4、 実用的な黒弓
握りの皮が厚くまかれている。幅26mm、厚さ19mm
籐は要所に幅広く太いものが巻かれている。
上は上半分、中下半分、下握りの部分 使い込まれている。
本弓を持つ侍 北斎漫画より
定尺7尺1寸、矢3尺、このような長大な弓はあまり世界には存在しない。
観察するに断面は台形で厚みがあり、この長さ、太さのものに反対にして弦を掛けると言うのは大変な作業である。練習用の竹弓でもこつがいる。まして戦闘用の太い弓は。二人張り、三人張り、四人張りと言うように複数の人力を要して弦を張る、またその弓を射る、修行し、力を付け、想像を絶する強い力を有していたのであろう。
「雑兵物語」には弓足軽への教えとして「必ず命令された距離より遠くを射てはならない。近くに射るのは構わない。稽古で的を射るより、引絞ってから倍の時間を持ち応えなさい。つがえても引絞っては緩め、緩めては引絞れ」とある。どんな武器兵器でも、落ち着いて操作しなければ効果は少ない。稽古は普通15間(約27m)で行い、通し矢、33間堂の廊下が有名だが、上にも下にもさわらず通す、と言うものがあった。有効射程距離はこれらから換算すると本弓で50m以内ではなかったか。
戦国期の弓足軽には2種類の任務があった。「数弓」をいう普通の作の弓を射る隊の者、主人の高級な弓をもつ「持ち弓」さらに兵站として矢を箱に入れ担ぐ任務の者がいた。
江戸期の巻物「拾五張弓の図 本重藤 末重藤」の「籐」は「藤」であり、「滋」は「重」であった。本書では「重籐」とした。
この巻物は2段に渡り、本弓の籐の巻き方を描き、名称を説明したいる。
5.弓の厚み
上の江戸期、京都18代柴田 勘十郎作は22㎜、中の練習用は16㎜、下の重籐は24㎜と、厚さが異なる。厚い弓は引くに力がいるが、弦を掛けるにも一人ではできない。