火縄銃



7 、鎖帷子(くさりかたびら)

鎖帷子とは、現在のボディアマ―で、頭から膝あたりまで、戦闘で着用する防具だ。
戦闘と言っても野戦ではなく、街中の主に刀による闘いで、幕末の京都で尊王攘夷派が幕府派、新選組などと切り合いをした際、またそれらに似た戦いに使用された。当然、科学的素材は使われてなく麻の厚い生地に細かく編み込まれた鎖が付けられている。
この防具の考えの元は日本の鎧にも使われているが、西洋の鎧や防具に多く採用されているものであった。欧州の博物館で見るに12-4世紀、十字軍の頃より欧州の騎士は鎖を網
んだ着こみを使用していた。この鎖方式は固形の鉄防具に比べると稼働性機動性が良かった。
日本では高級武士が野戦で鎧・甲冑の下に鎖を着込んだと言う。鎧・甲冑だけだと、脇のした、股などに隙間ができるからだ。総重量は6kg弱で着ていてもその重量は大した負担にはならなかっただろう。

従って、鎖帷子は日本独自のものでなく、戦国期、西欧から伝来したものが幕末に再登場したと考えられる。全部着込むとかなりの重量になり、行動を制約されるが日本刀のような
鋭い刃で触れば切れると言う武器には効果があった。しかし突く、打撃するなどの武器には
鎖の合い間から穂先・刃先が入り効果は薄れた。

保管が問題で、着込み汗をかく、そのままおいておくと鎖が錆びる。
この実物は鎖一つ一つに漆が掛けてあり、錆はほとんどみられない。英国にあったので気象条件も良かったのかもしれない。西欧の博物館にあるものは鎖が錆地であるが、日本のものは漆がけである。

① 頭の部分

上は8枚ずつ3段に組み合わされた円錐形の帽子。それに側面に布に鎖が縫い付けてある。
2枚の側面は重なり、胴の襟と重なり、後頭部も保護する。顎紐で固定する。
部分的な防護着より、バランスが良く、しかも顔を除く頭全体を防護する。
全体の大きさ 高さ35㎝、頭の周り60㎝

鉄板の大きさは 下から6x5、5x4.5、3.5x4㎝、(先が底辺)
鎖の環数 約1000個(500個が2面)
鎖の太さと直径 直径6mm、太さ0.35㎜

② 胴着

鎖の数は全体で15,000-個くらいになろう。江戸期の鎖製作法は針金を切り、丸めてつなぐ、焼きを入れ、硬くして、漆がけするという手間のかかる方式で気が遠くなる時間が掛かったであろう。布は何枚か重ね厚い。縁は皮で補強してある。
胴回り96㎝、袖を入れた横長100㎝、襟高7cm、裾まで73㎝
鎖の環はやや大きい直径8mm、太さ0.7㎜

両側を合わせ皮紐で固定する方式。

鎖の環のつなぎ方、胴の部分

③ 籠手

この籠手は恐らく胴体と違うものであるかもしれない。胴体の袖はひじまでしかなく、これに籠手をつなぐ。つなぎ方は簡単である。皮紐の環に骨の柄を挟む。ここは戦闘には重要な部分で動きを良くする工夫がある。また鎖も細かい。小手の部分は親指と握った全面を覆いう。皮紐の環に指を入れる。鎖の環は細かく片方で約1500個ある。
長さは34㎝、太さは真ん中で30㎝だが、裏になる部分の紐で調整できるので、着用は最初に籠手を着用し合わせ、胴衣を着てつないだと考えられる。
鎖の環は直径5mm、太さ0.4mm。

鎖帷子はボディアーマーの元祖であり、防御できるだけでなく、攻撃もできると言うことが
この種の防御着の鍵だ。また着用に鎧・甲冑のように時間をかけてはいけない。
10分くらいで着用、刀を差す余裕がないと実用的ではないだろう。

価格、下手な鎧以上であったことは確かだ。鎖を万の単位で編んで着るものにする。
これは大変な作業であっただろう。全部手作業の時代、合わせて2万個ちかい環の鎖を製作するのは気が遠くなるような作業だ。

(この項以上)

6-1、鉄製の陣笠

陣笠の価値は、まず出来と保存状態、そしてデザインだ。
出来は鉄板の数と鋲、そして漆の塗りで決まる。保存状態は内部のクッションと
頭の両側にくる棒紐が残っているかだ。そしてデザインは様々であり、とても
ユニークな面白いものもある。

6-1 鉄製の陣笠

鉄製陣笠は「鉄砲隊陣笠」と言われ、鉄砲隊が主に使用したと言われている。下部の直径が30㎝から38㎝くらいまで差がある。37-8㎝もある被り物はかなり大きく、邪魔になる恐れもあるが、以前、先生たちより火縄を保護するために大きく作ったと聞いた。欧州の火縄銃士はマントを装着しているが、火縄を雨風から守るために前に垂らしたと言うが同じ考え方だろう。では果たして野山で火縄自体、もしくは火皿をこのように守れたか?大きな陣笠を被り構えてみると
丁度、頬付けの日本の火縄銃の場合は陣笠の中に入るから、一応の合理性はあったのだろう。鉄で作ったのは、鉄砲玉の飛んでくる最前線での気休めであろうと推察するが。陣笠全体に言えることだが、家紋、合印が正面、正面と後ろ、たまに3面に入れられている。言うまでもなく敵味方の識別のためだ。
① 鉄板8枚、前後に合印、表にも布を張りアルファベットのWとUを組み合わせたような合印が入れられている。寸法は直径32㎝高さ19㎝。

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綿を木綿でくるんだ頭の両側にくる棒紐が残っている。

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② 〇に桔梗紋、明らかに家紋の上手なものだ。鉄片は12枚を各々6個の鋲で止めてある。
寸法は直径35㎝、高さ20㎝で塗りも良い。残念ながら内部の装具が欠落しているが
それを止めてあった鋲、4個の大きさと頑丈さが見てとれる。

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③合印が目立つように

8枚の鉄片を組み立ててある。漆も厚い。裏は布を張り漆がかけてある。
合印とはこのようなものが多い。遠眼にも識別が付く。寸法は直径32㎝、高さ
20㎝。合印は見ての通り円の中に枡が。後ろ面に環が取り付けてあり、そこにも見分けのつく色の布などを結び付けた。内部の棒紐も健在である。

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④日の丸は昔からのもの

鉄片は8枚を合わせてあり、上手のものだ。しかもこの合印は簡単ながら分かり易くのちに国旗に使われた意味が理解できよう。 内部の棒紐は失われているが、金具は頑丈だ。

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一般的にはこのように錆が深くなると、薄い鉄板で、保存が悪いと持たない。
寸法は直径33㎝、高さ⒛㎝。

 

⑥◇ますの合印

頑丈な作りである。10枚の鉄片を縦6個の鋲で頑丈に止めてある。
合印もいかにも陣笠だ。表は漆をたっぷりと塗り、鉄板の継ぎ目が
見えないほどだ。寸法は直径36cm、高さ20㎝で大型である。
棒紐が欠落しているが、紐掛けの環の立派な作りだ。

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てっぺんも10個鋲で重ねてある。非常に大きいので鉄砲隊用であろう。

 

⑥無地

後で印を入れるために無地のものもあった。寸法は更に大きくて
平たい。直径37㎝、高さ16㎝。8枚の鉄板で構成され漆も厚く、
上手である。内部の4つの環も健全だが、内部の棒紐はない。

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内部の塗りも厚い。

⑦無地

⑥と同じように無地にしておき、後に合戦前に合印を入れるものであったかも
しれない。10枚の鉄片で構成され、天井にも鋲が打ってある頑丈な品。
寸法は直径35㎝と十分に大きく、高さは18cm。縁が痛んでいる。
直径15mmほどの棒紐(中は綿)と顎紐は残っている。中心のクッションもあったのだろう。シンプルだが良いデザインだ。

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(つづく)

6、「陣笠」と「とんきょ帽」
本項> 6-1 鉄製の陣笠
6-2 皮革製の陣笠
6-3 とんきょ帽
6-4 その他の被り物(かぶりもの)

6 、「陣笠」と「とんきょ帽」

雑兵の「被り物」として、戦国期より「陣笠」、幕末の西洋軍流の影響を受けた所謂「とんきょ帽」の2種がある。
(高級な平陣笠や、幕末の韮山帽など多種にわたるが。)
具足、鎧を着用した身分ある侍、雑兵の中間に位置した者が着用する
「お貸し具足」には簡単な兜が付いている場合と陣笠が付いている場合がある。

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「雑兵物語」より

1、 陣笠の種類

使用目的によりさまざまな材質で製作されたが、一般的に戦闘目的には鉄か皮革製、作業目的、荷駄、警護などには皮革製、紙の重ね、
などと言われるように分類できる。表面の仕上げはほとんどが漆でありいずれも主人である家の所有だから、その家の家紋、合印(所属を示す簡単な印)が正面に漆で入れられている。
鉄製と皮革製の割合では大体半々である。皮革製も戦闘に使用されただろう。とにかく現在でも頑丈で耐久性がある。

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「雑兵物語」より

戦闘用の鉄製陣笠においても鉄板を6-16と幾枚か重ねて縦に数個の鋲止めし、その直径は30㎝強が普通である。高さは低く、20-25㎝くらいと平たいのが特徴だ。鉄板の厚さは1mmくらいと薄く、刀、槍、その他打撃武器にはあまり効果はない。現存するものに戦国期のものは少ないので、江戸期にこのように軽いものになったのかもしれない。
無論、直撃する鉄砲玉には無力である。
材質的に鉄以外では皮革を乾かし漆掛けした品は意外に頑丈であり、
刀、槍、打撃武器に対しては鉄より強いと考えられる。錆びず、軽量で価格的にもこの材質が最も高価になったと考えられる。
いずれも内側は綿入れ(藁のものもある)の棒状クッションで、紐を4点で支え、Uの字に下し、下には顎下で、止め戻して、横に顎にまわした結びとする。
直径がやや大きい32-6㎝くらいのものが存在するが、それらは
「鉄砲隊の陣笠」と言われる。広いつばで火縄を守るためだ。
火縄と火皿を濡らさないために首をかしげ、陣笠で雨水からかばった。

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一方、非戦闘用、雨風直射日光をしのぐ荷駄などの識別に使われた陣笠は鉄以外の材質で多いのは和紙を重ね合わせ漆で仕上げた品もあり、意匠があり、面白い。

2、「とんきょ」帽

19世紀、幕末に西洋流軍学の影響により、欧州の歩兵、騎兵の
背の高い帽子で、陣笠とは別に区別される被り物であろう。
材質的には陣笠と同じく、鉄、皮革である。
寸法的は下部直径30㎝、高さ25㎝が普通である。

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出来は陣笠より高級で、雑兵が使用したものとは考え難い。とんきょ帽の印は家紋が主で、仕上げも高級であり、はたして
身分の高い者の装具品とも考えられる。
洋式軍装に兜はないから、このようなものを用意した。

とんきょ帽と陣笠、その他被り物の図録を作りたく別途約100様の
画像を取り込みたい。
以下掲載の予定である。

6、「陣笠」と「とんきょ帽」
本項> 6-1 鉄製の陣笠
6-2 皮革製の陣笠
6-3 とんきょ帽
6-4 その他の被り物(かぶりもの)

(この項以上)

5、鎧甲冑着用法の例

①刀の下緒(さげお)止め方「下緒留様」
大小の刀を着用した胴に締める方法を示した図である。

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火縄銃演武などでは短めの脇差を一振だけ差して行うこともあるが、演武とは言え鎧甲冑の類を着用すれば、大小の刀を二振胴の左に差さなければならない。
これがなかなか難しい。着物や稽古着なら袴の帯と着物の帯を使い身体に密着させてかなり確実に大小の刀を止めることが出来るが、鎧には止めるところがない。この図では大小2本の下緒(さげお)を利用して交差させるように胴に廻す方法が示されている。栗型を使うので、それらが外れれば緩んでしまうが
鞘自体と2点で固定されているので、大小の刀の角度を調整できる。

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この武士は装具から判断するに、中級の侍頭クラスであろう。

②兜の名称と帯の結び方
兜には以下の三種が「具足着用の次第」に掲載されている。
兜の頭への固定は中に綿の入った太めの帯を兜内3か所の固定環を通して耳の
横にたらし、前面に来たもの顎にそして左右そこを通して顎の前で結ぶ。

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「忍の緒」と言う。
兜は鎧本体とデザイン、造りが対になっていなければならず、「立物」と言う
前、脇、後、上にさまざまな形状の飾りを付けた。

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いずれもデザインと造りの良さが鍵で、武将の自慢であった。
(この項以上)

4、当世具足その2

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江戸中期のものだろう。19世紀になり糸の部分をやり直したと言い伝えられている。完全で、健全な品であり、保存状態も良い。
大型の鎧櫃一個に全てが収納される。43㎝角、高さ56㎝、透き漆塗りである。

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台座の年号、文化八年は1812年、その3年前から江戸湾に砲台建設がはじまった。

この鎧が江戸中期のものであると言う確証は袖が地味であり小さいことだ。10段で長さ23㎝、幅21㎝。

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昔から糸ケの多い鎧具足は質が良いと言われていたが、この鎧は典型である。

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表側

また裾板の部分は本小札であり、手がかかっている。それは小札が一枚一枚造られている板を形成しているからだ。その上の部分は一枚板であり、表は各枚が分かれているようになっている。一種の模様だ。

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胴は横6段に薄い鉄板をつなげてあり、その動きを良くする、補強するために
ふんだんに紐が使われている。普通の品と違う点は各一枚の鉄板の上部が波型になって凝っている点であろう。佩楯(はいだて)と脛当てもシンプルなデザインだが、使い易そうだ。

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胴裏側

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佩盾と脛当このあたりの部分は程度が特に良い。

袖は動きを良くする工夫があるが、脇の下に厚い鎖布が入っており、馬上で刀や槍を振り上げた時に下から突かれるのを防いでいる。本来は胴の内部に入れたのであろう。

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手のひらの家紋

兜は32間と控えめであるが、鉄質は良い。またクワガタも形通りのものだ。
金のメッキがはげているが、元より厚くけばけばしくしてなかったのだろう。
兜は大きい。幅20㎝、長さ25㎝。庇は3本の太い鋲でとめられている。
真ん中より後ろが凹んでいる。

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面の鼻と髭の部分は取り外しが出来る。ドラマなどでは、役者の顔が見えるようにはじめからついてない。面の色付けは他の部分とことなり、日焼けした肌の色、茶色になっている。表面にはしわがある。

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この鎧は出来も良くて質の高いものである。だが、地味でおとなしいということで、江戸時代の特徴と、着用者の身分を示していたのではないか。
その他の装具は以下のものが入っていた。

旗立て 胴の背中に装着し、旗を立てる

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采配

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金色の厚紙を複雑に切ったもの

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旗のかわりものか?一体化しており、伸ばすと長い。

幕末、西洋人の描いた当世具足姿の侍

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(この項以上)

3、鎧櫃(よろいびつ)

鎧・兜・甲冑やその付属品(小旗、軍配、采配、衣類など)を、収容、運搬、展示するための箱である。箱は縦型と横型があり、節句飾りなどは横型であるが実物は見る限りほとんど縦型である。縦型は2個で一組のものもあるが、大体は1個に入れる。諸元は縦型の場合、左右39㎝ほど、高さ53cmほどの長立方体で、四隅、角を鉄板で補強してあることが多い。
材料は板、竹編、紙、皮革、それらの組み合わせなど様々であるが、ほとんどが漆仕上げである。運搬方法は背担ぎ、棒担ぎ、兼用など。
表面には「前」「後」と表示され、左右には家紋が入っていることが多い。

①1、で紹介した五枚胴の鎧用の櫃。鎧兜は桔梗紋で統一されていたが、
この櫃は柏紋。内部に二つの兜(同じ様式だが浅いものと深いもの)が入り、
その他全てが秩序良く収まっている。
2、で紹介した旗、軍配、采配、着物、小物、足袋などは別な入れ物があったのだろう。入れて入らないことはないが少し窮屈である。
材質は木板で、皮革を張り、緑色に漆で仕上げてある。角や隅は金具で補強されている。U字型の金具が左右に裏には鍵が付いている。

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緑に縁の赤がしゃれた配色である。

② 井伊家系の櫃
赤い井伊家の紋の入った鎧一式が収納されているが、兜、胴、面ぽう、前垂などを除いて布地は再製作品の演武用である。布地が元のままである方が珍しい。
材質は板に漆塗り。頑丈な造りである。(鎧は後に紹介する)

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③ いちょう紋の櫃
お貸し具足が収納されている。材質は竹を編み籠にして和紙を張り、漆で仕上げてある。防水性にも優れているようで、軽い。お貸し具足は後で紹介する。

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④ ○に上、の紋、源氏村上家
ブログで紹介したら、識者より「珍しい、木曽の村上家か村上水軍の系統」ではないかと言うコメントをいただいた。

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やや小ぶりながら胴が膨らみ優雅な造り、材質は木材であろう。
担ぎ棒を入れる方式が蓋も使う珍しいもの。
(板橋郷土資料館)

⑤ 葵紋の木箱
黒漆塗りであり、金で葵紋が描かれている。

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⑥ 「前と後」の表示
節句飾りに多く前後は描かれている。

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⑦ その他、家紋入りの鎧櫃

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⑧ 家紋のないもの

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(この項以上)

2 、鉄錆地当世具足とその小道具類

出陣の祝い

当世具足とは、戦国期が終わり江戸期にかけて製作された具足(鎧兜)類のことである。

江戸期の戦乱は幕末、幕府の長州征伐、戊辰戦争のみで、戦闘方式に抜本的に変革が起きたのは嘉永3年(1863年)の西欧列強と、薩摩、長州の戦闘からである。従って
日本の伝統に従い、新調された幕末までの当世具足はほとんどが実戦で使用されなかった。この「鉄錆地」と言うのは鉄板で製作し、表面に何らかの化学的仕上げをほどこしこれ以上は錆がでないようにしたもので、日本的な鉄表面処理である。
この具足には二つの兜があり、どのように使い分けたかは不明である。この二つの兜の形状は異なるが、まったく同じ作りである。同じ櫃に入っていた。その櫃にはおよそ30点におよぶ小道具が収納されており、現在は別に収めている。
状況から具足はⅠ−2度、着用されたと思われる。「桔梗紋と藤巴紋」を使っていた東京近辺の家のものであった。少なくとも采配をふるった身分にあった侍の所有物だっただろう。立派だ。

1、 小道具の様

① ワラジ 現在のものと異なるのは編みが細かいのと、紐を使っていることだ。
サイズ26㎝。この身分の持ち主が素足で着用したはずはなく、足袋をはき
ワラジを履いた。足袋はこの小物類にはなかった。

② 皮革製の足被い 靴のように見えるが底がない。履いて足首をボタンで止めるが、甲に穴がありそこにワラジの紐も通したようだ。下は漆で仕上げた牛皮製、上は牛皮の裏側(バックスキン)、長さ28㎝、高さ14㎝、くるぶしを包むバックスキンの部分は高さ6㎝。

制式には「甲懸」と言う。
③ 手袋 手の甲には甲の形の鉄製の被いが腕に付いている。この手袋は甲冑の下に着用する腕下、さらにその下に着用するものらしい。とても長い皮革製、バックスキンのもので波型の模様が入った上質な出来だ。長さ33㎝、周囲は手首のところで20㎝、幅2㎝、75㎝の長い紐が付いている。この紐で巻いて固定する。

④ 帯 皮革製で内部に綿を入れ丸くしてある。真ん中の桔梗紋の被いの下には真鍮の尾錠(ばっくる)で長さを調整して占める形式になっている。尾錠はかなり大きい。
長さ120㎝

 

⑤ 刀佩用帯 編み紐に皮革製(固く加工してある)の筒が2個、刀を入れ身体に巻いたものだろう。刀が入る部分は高さ7㎝、幅6㎝の筒状で、その間隔は20㎝。長さ160㎝。一部焦げたあとがある。太刀を佩用するには柄頭とこじりが水平になるようにする、と名和先生の本にある。

鞘入れは固い加工である。
⑥ 紐 藍染めの木綿の太い長い紐である。火縄に使うものではないので、どこかで身体を締めるための紐だったろう。太さ1㎝、長さ180㎝。兜の緒であるかも。

⑦ 脚絆 釦で脚に巻いたもの。絹製で裏が木綿。上部の幅20㎝、下部の幅10㎝、長さ30㎝。真ん中に紐通しの穴がかがってある。

⑧ 直垂 下、袴 絹製 長さ70㎝、股下50㎝

⑨ 直垂 上 絹製 長さ82㎝、肩幅56㎝

⑩ 烏帽子 汗の浸みが出ているので着用したものだろう。幅30㎝、高さ36㎝、紐の長さ150㎝、木綿製で内部は油紙製

⑪ 下袖一対 上はく部、下はく部、ひじに薄い鉄が組み込まれた着物と籠手の間に着用する絹製の袖である。長さ70㎝

⑫ 面ほうと胴の間、を守る重要なものだ。これはのど元だけを保護するが
上は鉄鋲が入った板、横14㎝x縦6㎝、下は鎧の胴があたらないように綿布団に
なっている。横27㎝x縦10㎝。上部の釦で止める方式。

以上が身につけるもので、以下が戦闘際の装具であろう。

⑬ 「日の丸」の扇子。大型で竹と厚紙で造られ、表は金地に赤、裏は赤地に金である。
長さ33㎝、日の丸の直径15㎝

 

⑭ 扇子 黒い入れ物の中に画が入っている。2つの部分に分かれ、ケースには魚の画が、内部の折りたたんだもの裏表、上は草花、下は男女が踊っている様子。不思議なものであり、上の幅8㎝、長さ30㎝、画が描かれた扇子の部分は長さ15㎝

⑮ 合当理(がったり) 旗指しもの容器 甲冑の背中に付ける断面が正方形の棒であるが、内部が直径2㎝の穴になっている。長さ38㎝、上部3x3㎝、上の金具は真鍮製、漆仕上げ。

⑯ 横笛を入れた容器 筒で長さ42㎝、直径3㎝、蓋の部分の長さ9㎝ 材料は木か竹だが上質なものである。下に穴が開いており、漆仕上げ。中はないが鉄笛を
戦場に持って行ったと言う、その容器か。

⑰ 采配(さいはい) 号令を出す時に振るもの、日本独特の戦国期からの伝統だ。命令を下すものを「采配をとる」と言うくらい。柄の部分、長さ34㎝、太さ2㎝、先が尖っている。紙の部分の長さは30㎝、約200枚がついており、元は糸できつく巻いてある。柄には皮で同じ模様が入れられている。

形式は異なるが同じ采配であろう。

⑱ 旗 その1 高さ70㎝、幅36㎝、絹製で角が皮で補強してある。下が青、上が白

⑲ 旗か風呂敷 その2 高さ48㎝、幅43㎝、絹製の小型の旗で藤巴紋。玉抜けの穴がある。

⑳ 旗 その3 高さ75㎝、幅37㎝、綺麗な垣色、桔梗紋、糸の筋がいれてある。

㉑ 旗 その4 大型で高さ103㎝、幅73㎝、上が青、下が赤、全体に糸目を入れ補強してある。羽根の模様。

 

㉒ 旗 その5 下の白字の旗は縦87㎝、横21㎝あり、絹製だ。同じものが2枚ある。

㉓ 旗 その6 白と黒の小型のもの。縦23cm、横37㎝ (上)

㉔ 白布 4本同じものがある。55㎝x14㎝ 絹製

㉕ 白布 風呂敷か被りものか、結び目が解けない。約60㎝角。

㉖ 赤白の旗 43㎝x36㎝ 木綿製 2枚同じものがある。

㉗ 合印 肩に付けた小さな旗 戦国期からあり、日本独特の目印で、戊辰戦争でも使われた。6種類あり、藤紋のものは32㎝の長さ、幅16㎝で色のバランスも良い。
その他に5種類の合印が用意されており、様々な状況で使ったようだ。端の白と黒のものは染めではなく、2種類の布を合わせて作ったもの。

㉘ 床几 携帯用で、座る部分は厚い3角形の牛皮、一辺は33㎝、その端が袋杖になっており、折りたためる長さ50㎝の脚を交差して開き載せる。甲冑を装着したまま座るものであろう。

床几、写真の物は洋式であったかもしれない。

㉙ 陣羽織 袖なしで、丈は95㎝、肩幅60㎝、材質はラシャに見える。家紋が異なるのでこの甲冑のものではないであろう。

(以上)

1 、鉄錆地当世具足・甲冑の例(桔梗紋)

この甲冑・鎧兜は江戸期の製作であろうが、形状は南蛮甲冑の影響を付けている。
特徴は、5枚胴、横引7枚桶側胴で、一列ずつ鋲で止めてある。中央に角度が付いており、
形が良い。上から頬当て(面頬)から脛当てまでの全部分は保存状況が良い。籠手、脛当て、佩楯の鎖を比べてみると同じものであろうと見える。西洋甲冑の特徴は中央正面が膨らみ線となっていることである。また小物の旗印からこの家は桔梗紋であったが、甲冑にも細かいところに桔梗紋が入っている。非金属部分、布、皮の下地に入った模様はうえから下まで同じものだ。甲冑や小物には合わせ物と言い、異なる部品を合わせたものが古くからあったので、これらが「一作」、元々組であったかを検証する。

兜は16間同じ作りだが、形状の異なるものふたつある。一つは江戸期の形状で、これには天井に八幡座があり、庇には3個の鋲、もうひとつは胴の形と合った戦国期の経常で拭き返し(庇)には鋲が5つある。前立ては共通なものではない。この獅子面の前立ては平たいほうには付かない。

(古文書の参考図)

兜1、胴と同じく鉄錆地であるが、しころは5枚。皮札であろう。軽い。八幡座(天辺の座)は5重になっており、金メッキの部分もある。上の穴は直径20mm。兜の高さは約17㎝、前後長26㎝、幅23cm。拭き返し(庇)は60㎜でているが、角度は浅い。鋲3個。わき立にも紐の飾りがついており、

高さ7・5㎝、幅7㎝。こちらの兜のほうが内部の様子から使い込まれている。江戸時代の形式である。

兜2、鉄錆地であり、しころは4枚。八幡座は簡単ながら頑丈なものだ。16枚の鉄の曲がり飾り、天井も鉄。外径3㎝、穴2㎝。拭き返し(庇)は60㎜出ているが角度が付いており、戦国期の形状という。側立は高さ7㎝、幅6㎝、シンプルでここだけ茶色の漆ぬり。形状の時代は笠間 良彦「日本甲冑事典」146ページ写真より
1と2は同じ作であろう。鉄の質、工作、糸その他細かいところに共通点が多い。

前立がある

面頬は、所謂「越中頬」と言う形状で、顔全体を隠すものではない。顎から頬にかかる。
鉄板には細い横筋が入りまん中には桔梗紋、横の板、5×3㎝の左方「耳」が欠落している。

古図面からの例

垂は、ここだけ紐が新しい作だ。模様は合っている。「鼻」が別になるものもあるがこれは装着する部分がない。

置袖は横27x20㎝、7枚のつづりだが、重量からみるに鉄板で出来ている。左右互いに反対側の籠手と装着するように出来ているが、紐の長さが合わないので、ここに入れる接続紐があったのであろう。下の板の飾り紐は2列、前部赤である。退色しているが。

 


左右は同じである

籠手は左右完全で、寸法は全長64cm, 上幅22cm、手首の周囲25cm、手首より先16㎝、丸桔梗紋直径25㎝

 


古文書の籠手、下の部分が異なる

籠手は袖手、手甲部分すべてを手作業で製作すると推定ひとつ数100時間はかかるのではないか。親指の先が稼働できるようになっている。刀や槍の操作に重要な握りの力をそがないためにだ。あとの4本の指も指先だけしか出ない。しかも曲がる。手甲には「桔梗紋」が入っている。ひじ金は三重だがやはりまん中は桔梗紋、瓢(上拍部を守るところ)のひょうたん型の鉄細工は割に大きなものだ。しかし細工は細かい。10本の筋と大小4列の10個の丸。瓢箪の上には小板と言われる5×3㎝ほどの鉄板が付いている。鎖は基本形で外直径5㎜のものを四角つなげてあるが、鎖の数は恐らく片手で4000個ほどになるだろう。腕の下を守る部分には5本の長さ15㎝ほどの篠(鉄短冊)が入っているがこれも強度を増すために2本の太い筋が入った細工である。「ひじ鉄をくらわす」の言葉はひじ鉄からきたものと思われる。籠手は戦闘で一番重要な部分でこれが自由に動かないと武器が扱えないしかしこの甲冑では鉄砲の発射は出来ても装填が出来ないと感じた。

 

袖部分の各所

胴は5枚を身体に巻きつける方式である。「仙台胴」とも言われる。縦40㎝、横幅はまん中の筋から左右12㎝ずつ24㎝。8枚の鉄板を横にして繋いだ桶側胴だ。鋲は5個の列4列と、4個が4列。形が良い。後部も同じ作りだ。右の一枚と左の二枚は横板5枚で鋲は4個である。ここの大きさは上に腕が入るので、20㎝x20、右は前後と繋がっているが、左の2枚は1枚ずつが前後と繋がり、身体に巻いてから紐で結ぶ。後ろが上に来るようにすると言う。大きさは2枚を組合すので、高さ20㎝だが幅は12㎝。

横と裏

胴の上、後ろが挺番になっており、そこから首を挟むように前に被せる部品がある。
仙台胴、雪下胴に多い方式で肩上先に杏葉を挺番を付けとして高紐の被いとした。(笠間 良彦著「日本甲冑事典」85ページより)
肩を打撃から守る部分だが、これが胴の前の革帯に引っかかる。これ以外にもその上に皮帯の細長い輪があり、それが挺番だけの固さ、弱さを防いでいる。非常に凝った設計だ。
胴の鉄板の厚さは裏に貼り物と漆が掛けてあるので正確には図れないが合わせの部分を観察する限り2㎜位と推定できる。


古文書にある胴の名称

下散は小札上下5枚ずつの板が2本組5本の紐でつり下げられている。これが前は3組、後ろも3組、軽い、寸法は上下12㎝、幅18㎝、ひとつが皮紐24本で胴に付ける環に装着されている。胴を廻る環は幅が3㎝あり、長さ50㎝、前後2個。環は鉄製であろう。皮革の紐で胴に固定する。皮革の紐、小札板を下げる紐の状態は良い。模様も他の紐や布と一致している。皮紐の部分には刀帯やその他の帯を巻いてさらに胴を身体に固定する。裾板の紐飾り3列は全部白である。この部分は「草ずり」とも言う。

草ずりは同じものが前後2組ある 古文書に記されたものは「腰巻」とある

佩楯(はいだて)は両足に分かれ、裏で脚に止めるようになっている。上下に分かれており、下散に隠れる部分は布だけである。その下は鎖地で、前の布の輪で帯に、後ろの紐で身体に固定する。全体の大きさは幅54㎝、縦57㎝のほぼ正方形で、鎖部の縦は33㎝あり、腿の部分を保護する役目がある。真ん中が両足の運動のために開けてあり、各々に袖と同じ鎖構造になっている。布の模様は述べたように袖と同じものが使われており、さらに短冊型の鉄板も同じ意匠で造りである。若干長く、袖が45mm、佩楯は55㎜である。枚数は各10枚。そでのひじ当てに当たる部分に膝当てがあり、これらも基本的は同じ意匠、同じ作りであるが、まん中の丸、直径約20mmが袖は桔梗を意匠してあるが、膝は細かい線である。裏地は柿渋染めの麻布である。

古文書においては「踏み込み」と称していた

脛当(すねあて) 下地は32X32㎝の布地、上の部分は丸型の金属板を縫い込んだ下挙(少し痛みはある)と長短7本の篠(短冊)、外側4本が長く、内側3本が短い。内側下には約10㎝角の赤い皮が当てられている。真ん中の23㎝ある太い鉄部には3個の桔梗の家紋の飾りが入れられている。鉄の短冊は中央が尖り、外から内に湾曲している。上部の皮革部に紐で包んだ鉄部(立挙)は21個ある。細かい細工だ。足元の内側は撃たれるところでなく、運動性を重視した。この部分を「かご摺り」とも言う。紐(緒)は上下に各2本あり長さは二重に巻き前で結ぶようなる。

 

裏は柿渋の麻布、古文書では頭の部分を「十主頭」と称していた

全体的にみると、この甲冑、バランスは言うまでもなく、鉄質、その時代、紐、鎖、革紐、小札、布、亀甲立挙など多少の補修はあったかもしれないが、元のままであったものだろう。紐を赤白に組み合わる、白だけ、赤だけなどと意匠してあるが。下地となる布部分は「家地」「家布」とも言い、その模様は同じものである。この甲冑に使われた菖蒲に意匠したような形は多く使われている。布地は全て同じ時代のものと見てとれるが、皮革紐部分はそれより新しいのではないか。

日本の近世の甲冑はまだ布や皮革、鎖部分がもっているが時代を経るにつれてだれがどう補修するか、大きな課題である。
(以上)

参考文献


山岸 素夫・宮崎 眞澄著「日本甲冑の基礎知識」雄山閣 平成2年
笠間 良彦著「図解日本甲冑事典」雄山閣 昭和48年
笠間 良彦著「日本の甲冑・武具事典」柏書房 1981年
名和 弓雄著「絵でみる時代考証百科・槍・鎧・具足」新人物往来社1988年
具足着用乃次第 古文書
雑兵物語 監修浅野 長武 人物往来社
日本学士院編「明治前日本造兵史」日本学術振興会 昭和35年
有馬 鉊蔵著「兵器考」古代編 雄山閣 昭和13年
図録「当世具足・大名とその家臣団の備え」板橋区郷土資料館 平成24年
図録「鉄と漆の藝術 京都嵐山美術館」1986年