「鞭声粛々夜河を渡る・・・」詩吟に合わせ、袴姿の剣士が四方に立てた竹を、ゆっくりと次々を切り倒す、これを観た時、日本の刀はどうしてこんなに優雅に切れるのかと不思議に感じた。明治9年(1876年)「廃刀令」が施行され、もう武士であろうが、日本国民は刀を腰に差して歩くことはなくなった。刀は武士の「精神」だったのだ。こういう存在、位置づけの武器も世界的には珍しいのではないか?刀剣は近代日本の社会から否定されたように見えたが、日清、日露の地上戦闘で意外にその効果が評価されて、軍国日本では軍刀として白兵に、指揮に使われた。将校は家伝の刀か、もしくは新しく製作されたものを軍刀拵えにして戦場に赴いた。歴史をみるに、初めて日本人が外国人を戦った元寇文永・弘安の役(1274年、1281年)この時期に鎌倉武士の装備、鋭い切れの刀剣、長い威力のある弓矢、そして身動きが戦闘に向いた甲冑、このセットが威力を発揮したのではないか。特に刀は当時の欧州のものに比較しても鋭いものであったのではないか。日本の刀剣は長い歴史を持ち、武器として単に闘う道具だけではなく、芸術性に優れ異色の存在だ。世界的にも高い評価を得ている。第二次大戦後、武装解除、兵器廃棄の際にも芸術品、美術品として連合軍から認められ、文化庁の「登録制度」で生き残った。刀剣の製造、鑑賞などは日本独特の高い文化性も秘めている。不思議な存在の武器兵器と言えよう。また江戸期には名字帯刀を許すと言う制度から藩にとり有力な農民・町民にも苗字帯刀を許し、これを権威の象徴とした。

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武家には刀箪笥という刀専用の箪笥があり、大体二段の引出しで構成されている。また刀台と言うものもあり刀剣大小を置いた。
武士の刀の扱いは、慶長年間に始まる「武家諸法度」という社会規制の掟に厳しく記されていた。刀、脇差、短刀などの細かい項目にまで及んでいた。
江戸期と言う時代を理解するにもひとつの規準として参考になろう。

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刀を携えた福沢 諭吉(左)と大隈 重信(右)