平成28年度東部方面隊オピニオンリーダー北部方面隊研修
去る6月8日(水)-10日(金)の間、日本の北の護り北海道の
第7師団、第11旅団、第5旅団、を訪問し、日本、現在の北護りの
状況を視察してきた。この1か月ほど前に実弾射撃事故が発生したが
そのことに関する説明はなかった。(第2師団には行かなかった)
目的)第二次世界大戦後―1990年まで続いた約半世紀に及ぶ東西冷戦で最前線に位置していた北海道そして、その終結から4分の3世紀、果たして旧ソ連(ロシア国)の脅威は、日米安全保障下に置いてすでに過去のものとなったのか、
過去のものでなくても、今回は特に日本側はどのような具体的な対応はどうあるものかを幹部との応答、現場視察を実体験、今後の様相を認識することであった。
北海道の地形は他の日本国と異なり、広大な平野、厳しい冬季、しかし恵まれた演習場があり、自衛隊、特に陸上自衛隊は特別な環境下にある。
後方支援隊の実弾射撃79発の事故に関しても内容説明はなかったが、1つの銃からわずか2-3秒で出てしまう数量の弾薬数である。本州における演習場を設定すれば深刻な被害をもたらした可能性はある。普段より、第一線部隊および後方支援隊においても武器兵器、弾薬に触り、慣れることは初歩中の初歩であろう。
研修部隊概要)
1、北部方面隊の任務
2、北部方面隊の部隊編成
3、第2師団
4、第7師団
5、第11旅団
6、北部方面航空隊
7、冬季競技教育隊
8、空自千歳基地(第2航空団)
9、空自千歳基地(特別航空輸送隊)
研修内容)
北部方面隊の任務は、2つの師団、2つの旅団、約50の方面直轄部隊が配備されている。安全保障面では①北海道に対する直接攻撃への対応、②西部方面有事に対応しての速やかな移動、のふたつが重要要素であると感じた。
当然、災害対応、海外平和維持活動などの付帯業務は言うまでもない。
北部方面隊は第2師団、第7師団、第5旅団、第11旅団(今回は訪問せず)の4つの大きな組織を形成している。
○自衛隊の食事
毎回、かなり高カロリー食であった。ほとんどがドサンコの材料を使用。
普通の隊員は大体、この倍の量を採る
以下訪問順に紹介
○航空管制とエリア管制の実務
千歳・丘珠ともに自衛隊機、民航機の航空管制は航空自衛隊で行っている。
千歳管制室・レーダー室には数十名の隊員が勤務し、丘珠も規模に応じて同じような様相であった。(写真撮影禁止)
○UH-1に搭乗し札幌市内周辺の地形研修
コントロールバーの操作
視程10km、雲底600m
札幌市内
大体、他の方面隊研修では航空機搭乗および地形視察がある。
○政府専用機
現在、日本国においてはB747 2機を政府専用機として要人の輸送、海外法人救援を任としている。運用は航空自衛隊が行っている。機内は要人用、スタッフ用、通信室、会議打ち合わせ、報道陣用のスペースがベージュ色のインテリアで配備されている。本年末よりより効率的に運用できるB777が2機加わり、来年度は4機体制、爾後、トリプル7の2機体制となる。
内部の様子略
○冬季競技教育隊
目標は冬季オリンピック競技でもある「バイアスロン」の日本での広まりと国際競技のメダル獲得だ。バイアスロンはノルディックスキーの競争と射撃の組み合わせであり、射撃は5発、各伏射、立射を行い、的を外すとペナルティが課せられる。まさに陸上自衛隊でしかできない競技であり、銃は小口径50m。
我々も射撃をビームガン使用で体験した。教官の立姿勢(背中に注目)
的が青くつくと命中
優勝杯
○資料館
①旭川 北鎮記念館
新しい二階建ての立派な建物である。主にこの地に明治時代初期に入植した「屯田兵」の歴史と生活、家屋の模型、道具、兵器などの展示。二階には第7師団の歴史、加藤隼戦闘隊と加藤隊長の歴史が展示されている。第7師団設立のころまでの苦労がしのばれる。
屯田兵の兵器
下は「ウエンチェスター」とあるがレバーアクションながら「プラットアンドホィトニ」銃
屯田兵の被服
防寒具一式
第7師団に引いた水道管(アカ松)
加藤 建夫隊長のコーナー
この資料館は建物、展示傾向など陸自一流のものであろう。
○千歳北翔館
初期の型
被服類
一式陸攻撃プロペラ一部
○各地の栄誉礼
①第5旅団
②第11旅団
終わりに)
北海道には未だ多くの自衛隊員が駐屯し、組織は一部変更されたが、90式戦車、重砲の装備も厚い。ロシア、クリミア半島情勢、さらに四島問題が解決されない現在、我が国としては気を抜くわけにはいかない。外交的な努力においてはロシアを孤立させない、我が国の同盟国を代表し対話を持つ、これらは重要であるが、軍事的な陸・海・空の護りは怠るわけにはいかない。幹部クラスの人たちは懇親会においてお会いし、簡単ではあるが会話を交わした。
やはり同一認識のもとに任務についていると感じた。
(この項以上)