洞富雄博士の本

洞富雄博士は長野県出身、早稲田大学文学部教授であった。1906年生、2000年にお元気であったが、急死された。歴史学者、日本史専攻で、幾つかのテーマを研究された。その一つが「鉄砲伝来、火縄銃」関係である。他には間宮林蔵、北方領土関係、そしてまったく方向性が異なる「南京虐殺」肯定論で有名であった。南京虐殺に関しては私の推定であるが、早稲田大学文学部出身左翼が先生を中国に連れて行き洗脳、本多勝一、藤原彰などが博士を利用したというのが事実であっただろう。先生には1980年代後半にお会いし、またご高齢であったので、電話、手紙で様々な取材をさせていただき、こちらも大分失礼なことを申し上げた。しかし博士は絶えず紳士であり、ご謙虚であった。火縄銃を研究してきたが、銃を発射したことがなく、射撃と言うものを全く知らないと言っておられた。すでに戦前に1939年「鉄砲伝来記」と言う本を記し、完成した次作原稿を戦災で失い、戦後、始めから書き直したと言っていた。
以下、火縄銃関連の幾つの著作である。

洞富雄著『種子島銃』

雄山閣 1958年 B5版 507ページ

第一章 ムスケット銃の伝来とその急速なる普及
第二章 封建制統一国家の成立と鉄砲
第三章 江戸時代の鉄砲
オーソドックスな内容で、日本と中国の銃は製法が異なる。軍制における銃の数、江戸期には製造数は激減したが、いろいろな工夫があった、を具体的に述べている。

 

洞富雄著『鉄砲―伝来とその影響』

思文閣出版 1991年 B5判467ペー

第一章 歴史を変えた鉄砲の伝来
第二章 種子島銃製造の伝播
第三章 鉄砲の起源に関する諸問題
第四章 秀吉の朝鮮侵略・維新内乱と鉄砲
自説、中国の鉄砲は材料が鉄でない、製造法が異なると。だから日本と中国では鉄砲がきたルートが違うのではないかと推察。これは重要なポイントだ。大砲に一番熱心であったのは家康で「石火矢」、「砲と炮」の定義。日本の小銃隊の威力などを前書に加筆、完成させた力作である。

 

洞富雄共著『日本の合戦六豊臣秀吉』

新人物往来社1978年B5版464ページ「
文禄・慶長の役」部分
長い文章ではない。また1991年の著作にも包含されているが、朝鮮半島での鉄砲を使った戦闘に一番、具体的、客観的な記述である。博士の真骨頂と言って良い内容である。
以上。